"Yoshitaka Ikeda" <ikeda@4bn.ne.jp> wrote in message
news:bv5vvu$nn5$1@caraway.media.kyoto-u.ac.jp...
> y. satoさんの<bv5ngp$q8a$1@nn-tk106.ocn.ad.jp>から
> >福田官房長官が古賀議員の学歴詐称問題について、嘘は泥棒のはじまり・・・と
言っ
> >ていたが自民党や内閣は国民にいろいろ誤魔化しの政策をとっていて他党の議員
のこ
> >とについて、とやかく言える資格があるのか。山拓の復帰を狙っているだけに過
ぎな
> >いのではないか。
>
> 自民党や内閣は別に公職選挙法に違反したわけではありません。
> だから、私は言う資格は充分にあると思いますけど。

言いたいことを言うのは誰だってできる。言う資格ってなんですか?言うのに国家試
験をパスでもしなければならないんですかいの?(笑い)要するに、「言う資格は十
分にある」とか語ることが阿呆な話ってこと。問題にしているのは、「そんな政党が
言っても説得的には我々には響いてこない」んじゃないかと言う議論。

> 少なくとも、政策決定は違法性なく行われているのに対し、古賀議員が行った
> のは違法行為そのものです。「法治国家」であればどちらが罰せられるべき対
> 象であることは明白です。

しかし、政治を「語る」ことは法律論ではない。政治はもちろん法律論も視野に入れ
て語るものではあるが一要素では有ってもイコールあるいは従属するものではない。
よって、「違法」と評価されなくとも政治論として語ることは一向に差し支えない。

> 小泉内閣の決定した政策を憲法違反と指摘する人はいるけれども、
> 行政の行為あるいは政策を憲法違反と決定することができるのは基本的には最
> 高裁判所だけです。少なくとも内閣法制局は矛盾しないということでやってま
> す。

だからなんなの?もちろん法律論としての憲法違反を言うのなら法律論的にそれが評
価されざるを得ないだろう。しかし、憲法違反か否かは最高裁が決めるものだから国
民がとやかく言うこことではないとするのは誤り。裁判制度の一つの最高裁も国家の
統治組織の一つであってそれは十二分に国民の批判に晒されなければならない。これ
が国民主権主義の当然の帰結。いわんや政治論に於いてをや。

> 私は、小泉政権の政策についてももともとの本人の主張とかけ離れているとは
> 思いません。そういう人を総裁とする政党を第一党にしたのはほかならぬ国民
> ですし、問題は特にないでしょう。

趣旨があいまいですな。「問題は特にない」と言う表現。あなたは「問題あり」とさ
れるのはどういう場合を想定しているのかな?裁判所が憲法違反だと言ったときです
かいの?どうも、あなたの頭には法律論ではどう評価されるか否かだけしかないみた
いで、それが決定的だとお考えらしいですな。それも政治を語る手法の一つであろう
とは思うけれどもそれならもっとマシで正確な法律論に徹すべきでしょうな。しかし
何度も言うけれども国家の裁判制度や裁判自体も国民の評価に晒されなければならな
いしそれを当然とするのが国民主権主義なのですよ。

なお、最高裁判所には違憲立法審査権があることにも現れている通り、国会で議決さ
れた法律に従ったからと言って違憲でないとは言えない。その憲法の趣旨はどこにあ
るかは大いに議論してみても良い事柄ではあるけどね。因みに、ぼくは憲法自身が国
会的民主主義=抽象的民主主義は価値の低い場合があることを憲法自身が認めたもの
と捉えますけどね。逆に、その場合は相対的に裁判所、特に最高裁判所を価値の高い
場合があることを認めたことになる。しかし、その価値の高い最高裁判所さえ国民の
評価の下にある。これが国民主権主義の帰結だ。

> #民主党の「マニフェストとは、「政権を獲得した時に実行するもの」なので
> #あり、履行義務はなく、小泉政権の政策実現度を検証していく」ってのもな
> #かなかすごいですな。本気で将来政権を獲得しようと思ってる政党の発言
> #じゃないよなぁ。これは。

これは単なる感想文ですね。

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みんなのケンちゃん