Re: 世界大百科事典
fj.comp.applications.dictionaryの記事<87sml8d3y8.wl%fujii@chi.its.hiroshima-cu.ac.jp>で
fujii@chi.its.hiroshima-cu.ac.jpさんは書きました。
> これは頻度テーブルが似ているので
> 一致する部分があるということですか?
> そうすると、先頭数十バイトのみが一致するのでなく、
> 先頭数バイトは一致しないが、その後数バイトは
> 一致するなんてのも同じようにありそうです。
おっしゃるとおり頻度テーブルが似ているのではないか
と思ったのですが、「その後数バイトは一致する」よう
なものはあまりなさそうでした。
> もしそのような項目がないとすると、
> 先行のバイトを続くバイトの暗号化に
> 使っている可能性もあるのではないでしょうか?
暗号化されていたらそれこそ歯が立たないでしょうね。
ただ、ハフマン圧縮ではないかという推測はだいぶ早と
ちりだったようです。初版と第2版で伸長後の本文は先
頭付近から違っているのに、圧縮データは255バイトめ
まで同じであるような項目があるというのがいちばん大
きな根拠だったのですが、ひょっとしたら先頭付近にタ
イトルデータや参照リンクのSGMLタグがたくさんあるの
かもしれません。
圧縮された本文データのさまざまな位置で1バイトのデ
ータを変更してから世界大百科事典を実行し、ふるまい
を観察した(※)のですが、以下のような性質がみられる
ことからやはりLZ系の圧縮かなと思うようになりました。
・圧縮本文先頭付近の数バイトを変化させてみたところ、
変化量が少なくても位置によってふるまいに違いがあ
りすぎる(のでハフマン圧縮の頻度テーブルとは違う
のではないか?)
・データ変更により文字化けが発生したとき、本文の一
部がそれ以降でたびたび現れる(LZ圧縮の辞書からの
コピーが起きているのではないか?)
データ変更によるふるまいの違い、文字化けの例、正常
な本文を参考のためにつけておきます。
また、先頭付近を1バイト変更したときに本文途中のご
く一部だけ化ける例があることから、暗号化されている
にしてもせいぜい固定パターンくり返しのXOR程度であ
り、ある位置の暗号化がそれより後ろに波及してはいな
いだろうと思われます。
というわけで、LZ系の圧縮であると仮定してもう少しい
ろいろ調べてみることにします。
※付属の検索ソフトがCD-ROMにある辞書データしか読ん
でくれないので、データにパッチを当てるたびにCD仮
想化ソフトで仮想CDを作ってマウントしするという作
業のくり返しです。けっこうたいへん。(^^;
★1: 項目00000「アイ(藍)」にパッチを当てたときのふるまい
------------------------------------------------------------------------
項目00000「アイ(藍)」先頭付近のデータ:
02 01 10 25 00 00 91 61 1B 79 05 EC 1F CF C2 15 BF E4 BF F3 8D 12 62
[不明のヘッダー部分]
pos=0x0000, 02 → 01 大きく化ける
pos=0x0000, 02 → 00 “項目データの取得に失敗しました”
pos=0x0001, 01 → 00 タグや改行だけ化ける
pos=0x0001, 01 → 02 暴走する
[これ以降圧縮本文?]
pos=0x0006, 91 → 90 化ける(※1, ※2)
pos=0x0006, 91 → 8f 化ける(※1, ※3) ★2:出力結果
pos=0x0006, 91 → 92 暴走する
pos=0x0006, 91 → 00 大きく化ける
pos=0x0007, 61 → 60 途中少しだけ化ける(※4)
pos=0x0007, 61 → 5f 途中少しだけ化ける(※5)
pos=0x0007, 61 → 5e 途中少しだけ化ける(※6)
pos=0x0007, 61 → 3c 大きく化ける
pos=0x0008, 1b → 1a 変化なし?
pos=0x0008, 1b → 19 変化なし?
pos=0x0008, 1b → 00 大きく化ける
pos=0x0009, 79 → 78 大きく化ける
pos=0x000a, 05 → 04 大きく化ける
pos=0x000b, ec → eb 大きく化ける
pos=0x000c, 1f → 1e 大きく化ける
pos=0x0080, e3 → e2 大きく化ける
pos=0x00c0, c8 → c7 本文10バイトめあたりから大きく化ける
pos=0x0100, 51 → 50 本文70バイトめあたりから大きく化ける
pos=0x0200, 1b → 1a 本文330バイトめあたりから大きく化ける
pos=0x0300, 3c → 3b 本文650バイトめあたりから大きく化ける
※1 先頭付近の文字列が後半で出現する
※2 SGMLのタグらしきものが見える
<TOC>
</ITALIC>
</SPECIAL FNAME="HDHゴシック">
<RUBIITA
※3 SGMLのタグらしきものが見える
<TITLアイ(藍
<YOMIアイ
<EUTITLChineseindigo||Polygonum<ITALItinctorionum</ITALICLour.TLE>
<AREFJ33023Z19"001イラストA000
※4 (イラスト) → (:>・:0001:>イラスト)
(イラスト) → (:>2+:0001:>イラスト イラスト)
※5 (イラスト) → (Z1>+:0001:>イラスト)
(イラスト) → (Z12+:0001:>イラスト イラスト)
※5 (イラスト) → (001+:0001:>イラスト)
(イラスト) → (002+:0001:>イラスト イラスト)
------------------------------------------------------------------------
★2: pos=0x0006, 91 → 8fのパッチを当てたときの出力結果
------------------------------------------------------------------------
<TITLアイ(藍>()<YOMIアイY><EUTITLChineseindigo‖Polygonum<ITALItinctorio
num</ITALICLour.TLE><B濃青色,いわゆる藍色の:>染歴採るためにる栽されるタ
デ科の一年草(TOC><+Z2:00⇒<AREFJ33023Z19"001イラストA000】</)B01ンジゴ
と呼ばれる藍色の:>染歴採る植物本は,MIアのほかにリュウキュウキアStrobila
nthes</SPECIALIC>SPECIALFNAME="HDHゴシック">cusia</SPECIALICO.Kuntze(キ
ツネノマゴ科)や01ンドキキアャRマツナギ属の:・CR>種,M}メ科)(TO9><+Z2:00
⇒<A REFJ33023Z12"001イラストA000】<2,+19>3+Z2:00⇒<A REFJ33023Z13"001
イラストA000】<3)などいくつかあるところから,とくにMIアを区別としタデMI
アとも呼ぶ。東南MIジア原産で代,国では古くからる栽されるタデ科の一年草(
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(c) 1998 Hitachi Digital Heibonsha, All rights reserved.
------------------------------------------------------------------------
★3: 正常な出力結果
------------------------------------------------------------------------
アイ(藍)
アイ Chinese indigo‖Polygonum tinctorium Lour.
濃青色,いわゆる藍色の染料を採るために栽培されるタデ科の一年草(イラスト
)。インジゴと呼ばれる藍色の染料を採る植物には,アイのほかにリュウキュウ
アイ Strobilanthes cusia O. Kuntze(キツネノマゴ科)やインドキアイ(コマツ
ナギ属の数種,マメ科)(イラスト,イラスト)などいくつかあるところから,
とくにアイを区別してタデアイとも呼ぶ。東南アジア原産で,中国では古くから
栽培された。日本へは飛鳥時代以前に中国から渡来したとされる。葉は先のとが
った卵形で,柄は短く,全体が赤みを帯び黒ずんだ緑色となる。茎の高さは50〜
80cmほどになり,先端部が細かく枝分れをして,夏に紅または白色の小花を穂状
に咲かせる。果実は長さ2mmほどの卵形で,黒褐色に熟す。葉の形や草丈などは
品種により変異が大きい。栽培品種には小上粉(こじようこ),上粉百貫,百貫,
小千本,縮藍(ちぢみあい)などがある。古くから日本各地で栽培されていたが,
明治時代後半になるとインドキアイから採ったインジゴの輸入や,さらに合成イ
ンジゴの開発により栽培は激減した。しかし,色合いや木綿などでの色もちが比
較的よいことなどから高級品を中心に需要は根強く,一部の地域で栽培が続けら
れてきた。主産地は徳島県である。2〜3月に種子をまき,春に苗を畑に移す。徳
島などでは前作物のムギの畝間に植える。開花直前の7月中ごろに茎葉を収穫す
る。さらに8月に再生した茎葉を収穫することもある。葉から染料を採る。収穫
した葉を刻んで乾燥・堆積し,これに水をかけては切り返し,2〜3ヵ月間発酵さ
せると黒い腐葉土のようなものとなる。これを多(すくも)と呼び,臼に入れてつ
き固めて藍玉をつくる。この藍玉には2〜10%の不溶性のインジゴが含まれ,こ
れに木灰,石灰,ふすまを加えて発酵させると水溶性のインドキシルとなる。こ
れが藍汁で,布を漬けて空気にさらすと酸化されてふたたびインジゴになり,染
色される。またアイの葉や果実,藍玉は解熱・解毒などの薬用にもされた。
星川 清親
【染料としての藍】
藍は人類が最も古く利用した青色染料である。古代エジプトの藍染布が残ってお
り,古代ローマのindicum(顔料)の語源は India(インド)に由来するという。古
代インドのサンスクリットで書かれた文献製法の記述がある。古代中国ではタデ
アイを栽培していたから独自に発達したと思われ,日本でもタデアイを用いるか
ら,染色技術とともに大陸から渡来したとみなされる。古代日本ではタデアイの
生葉をすりつぶして水を加え,かきまぜ,袋に入れて絞り,浸出液を染液として
灰汁(あく)練りをした絹を染めた。《延喜式》に〈貲布(麻)一端,乾藍二斗,灰
一斗,薪卅斤〉の記事があり,乾藍による藍建ても行われ,灰汁のアルカリによ
って日数をかけて発酵を助成し,麻布類を染めたことがわかる。平安の初期から
中期にかけてはこの方法を続けたが,鎌倉期には木灰とともに石灰を用いてアル
カリ性を強め藍菌の発酵を容易にするとともに,腐敗を防ぐことに成功した。藍
建ては夏季の作業であったが,しだいに土間に藍壺を設置し,加熱によって四季
を通じて藍建てを可能にし,室町期には紺屋(こうや)の発生をみた。近年では宮
城県栗駒町の千葉アヤノ(1889‐1980)が古来の藍建てを伝承し,その〈正藍染(
しようあいぞめ)〉は1955年文化財に指定された。なお,緑染は藍と黄色染料と
の交染によって得られる。⇒インジゴ
新井 清
【日本における栽培・流通の歴史】
[古代,中世] 藍汁をもってする藍染は,染色のなかでも基本的なものとして
,最も多く用いられたので,アイは百姓の屋敷地でよく栽培され,荘園によって
は藍を年貢とする地もみられた。藍色には深藍,中藍,浅藍,白藍などの各種が
みられ,《延喜式》にはすでに藍染のことがみえる。都市ではこの藍を供給する
ための座が結成され,なかでも藍生産地として著名であった京都の九条一帯には
,15世紀半ば以降,九条寝藍座があって藍の売買を独占し,ときには付近の東寺
を乾場としたため,寺と相論をひきおこした。なおこの藍汁をもって染色する業
者を,藍屋・藍染屋・青屋・紺屋(こうや)などといった。 川
嶋 将生
[近世] アイ(タデアイ)は江戸時代にはベニバナ・アサとともに〈三草〉の一
つに数えられ,日本を代表する商品作物とされた。その栽培が本格化するのは,
木綿生産が盛んとなる近世に入ってからである。江戸初期には山城,摂津,尾張
,美濃などでの栽培が知られるが,その主産地は阿波であった。阿波ではすでに
中世に藍作の存在が知られるが,とくに蜂須賀氏の入国後,藩の重要財源として
蜂須賀氏の保護・奨励の下で発展した。1740年(元文5)の調査では藍作は〈北方(
きたがた)〉(吉野川流域)全村に及び,吉野川中下流域の名東・名西・麻植・板
野・阿波各郡を中心に藍作地帯を形成した。この地方は灌漑技術上の制約により
稲作が半ば許容されず,かつ耕地の8割ちかくが藍作に好適な砂質土の畑地で占
められていた関係もあって,農民生活のほとんどは藍作に依存していた。とくに
18世紀以降,畿内の綿作の発展に対応して生産は急速に拡大し,1800年(寛政12)
には作付け6500ha,藍玉生産高17.9万俵(約1.4万t)に達した。〈阿波藍〉は〈藍
の種まき生えたら間引き,植えりゃ水取り土用刈り〉とうたわれたように,2月
の播種(はしゆ)から7月の収穫まで除草,害虫駆除,施肥,炎天下の灌水作業と
重労働の連続であった。収穫した〈葉藍〉は細刻して乾燥させ,〈藍粉成(あい
こなし)〉といって連枷(からさお)で丹念に打ちほぐし,最後に葉と茎にわける
。こうして〈藍作人〉の手になる葉藍は,次に仲買人により〈藍師〉のもとに買
い集められる。藍師は葉藍から染料の〈多(すくも)〉〈藍玉〉をつくる藍玉製造
業者で,〈玉師〉ともいう。自宅に〈藍寝床〉とよぶ作業場をもつ。葉藍は9月
ごろ藍寝床に仕込み,約3ヵ月間,前後20回にわたって給水とかくはん,保温を
繰り返し,漸次発酵させて多に仕上げる。この作業工程では葉藍の発酵度合に応
じた水加減がむずかしく,熟練技術を要した。そのため藍師はこの工程では〈水
師〉とよばれる専門の職人を雇う場合が多かった。葉藍100貫目(約375kg)から50
〜60貫目(約188〜225kg)の多が生成された。多はそのままでも売買されたが,た
いていはさらに〈藍臼〉でつき固めて藍玉に加工(藍つき)された。できあがった
藍玉は藍師・藍商により全国の売場先に積み出され,各地の〈紺屋〉に供給され
た。
こうして藍師は阿波藍の生産と流通を支配したが,1767年(明和4)には阿波の
総藍師は1289人を数えた。なお藍師は在方では,藍作に欠くことのできない肥料
(とくに干陛(ほしか))や経営資金の前貸支配によって藍作人への経済的支配関係
を強化し,質地地主として大土地を集積する藍師も出現した。他方,藍作人は藍
作の展開に伴って,逆に商品経済の好品となり経営が破綻し,貧窮化の様相を強
めた。ところで徳島藩では阿波藍の利潤に注目し,1733年(享保18)には〈藍方御
用場〉を新設し,葉藍取引税の徴収など葉藍専売制ともいうべき政策に着手した
。しかし56年(宝暦6)の〈藍玉一揆〉(五社宮騒動。葉藍取引税,藍師株の撤廃を
要求)により藩の支配は大きく後退し,藍方御用場も廃止された。その後66年藩
主蜂須賀重喜は藩政改革の一環として〈藍方役場〉(翌年〈藍方代官所〉と改称)
を再興,その監督下で城下市中に藍玉売場(のち〈藍大市〉として盛況)を開設し
た。また藍師層と提携して大坂市場の直接掌握を図るなど積極的な国益政策を展
開し,さらに享和〜天保期(1801‐44)にかけて関東売場株,大坂ならびに畿内売
場株の設定を皮切りにして31にのぼる全国売場株の成立をみた。全国の藍玉市場
の独占支配をめざしたものであるが,他方この前後から関東の武州藍をはじめ尾
張・美濃・山城・安芸・備前・因幡・長州・久留米・醍摩など各地でも〈地藍〉
の生産が活発化した。広島・長州藩などでは〈藍座〉を設置し,他国藍の移入を
禁じて自国藍の奨励と自給体制の確立をめざしている。明治維新後も全国的な需
要増により藍生産は拡大し,阿波藍は1903年に作付け1万5000ha,葉藍生産約2.2
万tと史上最高を記録した。しかし,開国以来のインド藍の大量輸入や国内の染
織業界の機械による工場生産への切替えは,しだいに阿波藍をはじめ国内藍の基
盤をゆさぶった。これに対処して五代友厚の朝陽館による製藍法の改良事業など
が興り,徳島でも五代友厚が1874年名東郡下に工場を設置し,精藍事業に着手し
た。さらに99年には長井長義の指導のもとに精藍伝習所が設置され,いわゆる長
井製藍が始まった。しかし,この前後から人造藍(化学染料)がドイツから大量輸
入されるに及び,国内藍・インド藍を駆逐して日本の市場を制圧した。ために阿
波藍も明治30年代後半を境に以後急速に低落した。現在では郷土の伝統産業とし
て,わずかな藍作農家が江戸時代以来の伝統的な藍作を継承し(1981年の栽培農
家67戸,作付け14.1ha,葉藍生産42t),技術の保存発展と後継者の育成に努めて
いる状況である。
高橋 啓
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