In article <bkura0$5t6l7$1@ID-205905.news.uni-berlin.de>, KENTAROU wrote:
>>  というか、「良い」が「用法が適切である」という意味で
>> あれば、そもそもダメです。
>>  私は、きちんと根拠を書いているのですから。
>
>しかし、「ダメ」としないで、確かに「書いてやらなければならない」訳ではなく書
>いてやる必要の無いことであるにせよ、もう一度根拠を要約的書いてやるという姿勢
>はどうなんでしょう?

 「書いてやる」があるべきと思うなら、なぜ自分でやらないのやら。

 やらない理由には、1.できない、2.サボっている、の2通りし
かありません。1であれば、日本語読解力が無いということですし、
2であれば甘ったれですね。まあ、KENTAROU ならこの程度でしょう。

 修行が足りません。

>この場合、議論に臨む姿勢の良し悪しを問題にするのが議論する目的だとはせずに、
>それについては自分は「良く」っても、相手が「悪く」ってもこの場合の議論の目的
>に一歩でも資するやりとりをしょうとするのであれば、繰り返し根拠を書いてやるの
>がよい、とは言えまいか。

 「よい」の定義も示さずにいては、何も言っていないに等しいのに、
何を呆けたことを言っているのでしょうね。

 修行が足りません。

>尤も、頼光氏が、文字通り<議論の目的は議論をすること>という立場を堅持される
>限り、当方の言う、<議論に臨む姿勢>の良し悪しと具体的=当該の<議論の目的>
>との峻別は難しいでしょうが。

 馬鹿か甘ったれの KENTAROU の意味不明な分類に従う人間がいると
思うのは、馬鹿か甘ったれたる所以でしょうね。

 修行が足りません。

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頼光 mailto:raikou@mug.biglobe.ne.jp
関心・専門分野:
 宗教学、歴史学、社会学、情報工学