! "<3f5aa7ac$0$263$44c9b20d@news2.asahi-net.or.jp>" という記事で
!     Sun, 07 Sep 2003 12:36:00 +0900 頃に wacky  さん は言ったとさ:

> KGK == Keiji KOSAKAさんの<bjcgg4$e0u$4@film.rlss.okayama-u.ac.jp>から
>>> 単なるきっかけに過ぎないのなら、未だ社会問題になっていない他の迷惑につ
>>> いて考えることを拒否する理由にも考慮しなくて良い理由にもなりませんよ
>>> ね。その「社会問題じゃないから」ってのは。
>> 
>> 誰か拒否してるんですか?
>> 考えるきっかけがないことは考えないのが普通でしょ?

> KGK氏に関しては「考えるきっかけ」は充分に与えていると思いますけど?
> 少なくとも、出会うことも話すこともないであろう喫煙者達よりはずっと…。

何について?

>>> 理路整然を先ず担保すべきなのは「批判を行う側」でしょ。
>> 
>> そういう批判であれば、特に迷惑にはならないって話。

> で、実際には、理路整然とした「特に迷惑にはならないような批判」っての
> は、少なくとも当グループにおいては殆ど見当たらないという感想です。

感想を持つのは自由ですが、どの批判のどの部分がどのように理路整然となっ
ていないかと「理路整然と」示さない限り意味はないでしょう。

> 理路整然とした迷惑喫煙の批判とはたとえばどのようなものですか?

いつの間に迷惑喫煙の批判の話になったんでしょう?
ポイ捨ての批判の話じゃなかったんですか?

>> だから、「間違った批判を受ける」というだけじゃ「社会的に許容不可な迷惑」
>> になるとは限らないし、批判の手法がまっとうである限り、「社会的に許容不
>> 可な迷惑」にはなりにくいでしょう。

> ああ、勿論、「間違った批判を受ける」というだけではなく、「間違った批判
> を受けた結果として不当に行為の自由を阻害された」ってことが前提ですよ。
> だって、「正当な批判を受けた」なら「当該行為の自由が否定される」のが当
> 然なわけでしょ。

ここでの「正当な」というのをどう取るかによりますね。
「当該行為の自由が否定される」のは「正しい内容の批判」を受けたときです。
それは「正しい手法の批判」であるかどうかとは独立な話。

「社会的に許容不可な迷惑」になりやすいのは「間違った手法の批判」であっ
て、それは「間違った内容の批判」であるかどうかとは独立の話。
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KGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGK
KG  KGK (life name: Keiji KOSAKA), Dept. of Phys., Okayama Univ.        K
KG kgk@film.rlss.okayama-u.ac.jp http://film.rlss.okayama-u.ac.jp/~kgk/ K
KGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGK