In article <bippil$fdk$2@film.rlss.okayama-u.ac.jp>, KGK == Keiji KOSAKA wrote:
>>> 「馬鹿にまともな発言をさせる」ことも不可能じゃないと、私は個人的
>>> には思っています。
>
>>  この点、以前に私も検討したことがあります。
>>  結論を言うと、可能不可能で言えば可能なのですが、実施す
>> るときの損得を考えると、費用対効果が低すぎて現実的ではあ
>> りません。
>
>当然のことですが、対象の馬鹿度や馬鹿特性によりますね。
>是の打ちどころのない程の馬鹿は対象外でしょう。

 私は、馬鹿度というか馬鹿のレベルを分けることに意義を見出して
いなので、馬鹿であればひとくくりです。

>>  具体的な手法として検討したものは、一言で言えば「おかあ
>> さんのように優しく言う」でした。
>
>それは効果が少なそうな気がしますね。

 効果の多寡はともかく、他に方法を私は知りません。

>まともな発言をする可能性のある人が馬鹿を発現するときは、大抵は情緒的な
>爆発です。
>だから、情緒的な扱いをすること自体がまずい。

 ここのロジックがよくわかりません。

 情緒の問題を情緒で解決するというのは、まっとうだと考えます
から。
 一般論としても、血が上っている馬鹿に論理を説いても全く無効
という事例は、世の中でもよく見かけることでしょう。

 例えば人質事件などに登場するネゴシエータのセオリーにも、
「But を言わない」というものがあり、用は「おかあさん」のよう
に相手の言を否定せず、全て受け入れる(かのような情緒を醸し出
す)ことの重要性が説かれています。

 ダイ・ハード2に出てくるようなクールな犯罪チームが相手なら
ともかく、下手打って人質取って立てこもるような犯罪者は、馬鹿
の同類項ですから、同じセオリーが(同じ目的に対しては)成立し
ます。

>基本は、冷静で論理的で分かりやすい記事を書くことに徹することじゃないか
>と思います。
>対象が情緒的な反応(例えば他人を馬鹿にしだしたり)をしても、それに乗らな
>ければ、馬鹿が発現する可能性は少し下がるように思えます。

 私は基本的にそれに徹していますが、馬鹿は暴れています。

# 誰か、逆の事例作ってみないかな。馬鹿に対して「おかあさん」
# をして、私の事例と比較する。私はやりませんが。

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頼光 mailto:raikou@mug.biglobe.ne.jp
関心・専門分野:
 宗教学、歴史学、社会学、情報工学