小泉さんの答弁

「いくら探してもフセインは見つからない
 だからといってフセインは存在しなかったって言えますか」

上記発言に対して評論家とか経済学者とか、一般の人(?)は
一斉に「支離滅裂だ」と反論している様ですが、法律的には正しい
様にも見えるのですがいかがでしょうか。

「一生懸命探しても証拠は見つからなかったから、そこに探す証拠は
無かった、と断言出来ますか」と言い換えて見ると、

「探し方が悪かったから本当は有ったかも知れないが見つからなかった」

と、考えるのがスジと考えるのですがいかがでしょうか。
 その様に考えると小泉総理のこの答弁はどこから見ても正しく、
これを批判する人のほうが奇弁であり支離滅裂であると感じました。

 法律の世界では「探した結果〜は見つかった」は確かに存在したのであり、
        「探した結果〜は見つからなかった」は存在しなかったとは
言えないはずであり、どこまでも「探し方が悪かった」と探し方を問われる
ものであり、どこまでも存在したかも知れない可能性を残しているのだと
思うのですが。

どうも小泉総理に難癖をつけたがっているだけの国民性が暴走している様に感じま
す。

(私は決して小泉総理肯定論者でも否定論者でもありません)