myawさんの<3D0B35E9.B353CE1E@valid.invalid>から

>うう、灰谷健次郎とずっと思いこんでいたのですが『ゲンのいた谷』を
>書いたのは「長崎源之助」という人でした。
>疎開先の村の子どものいじめられたり、食料難にくるしんだりする
>疎開児童が壁に怪獣を落書きします。その怪獣(「ゲン」という名前)が、
>彼の想像の中では壁を抜け出して、悲しみや苦しみを食べてくれる
>守り神になるという話です。

 抜け出せない現実からの救いですね。< 怪獣「ゲン」

>> # 筵に干した切り干しのお芋とかは夢に見ませんでしたか?(こらこら
>
>つくってました。筵じゃなくて笊利用でしたが。
>ふかし芋を薄切りにして干すのです。
>干し飯(ほしいい)もつくってたよ。

 忍者みたいですね。< 干し飯

>>  本来ですと、私の母などはまさにその年代なのですが
>> 上記の記述を見て何故か少々涙ぐんでしまいました。σ(^〇^;;;
>
>「ゲンのいた谷」読むと泣いてしまうかもしれません。

 じつは14日に「満州で一緒だった人が来るので、その用意を手伝って」
と言われ実家に行ってきました。
感受性の強い小学校2年生の子どもが、収容所で多くの死に囲まれて
飢えていた日々が蘇り泣いていました。

>私の場合、祖父両方ともしたたかだったのか、二人とも兵役を免れ、
>終戦直後のどさくさで東京の敷地とられたとかいうエピソードは
>あるものの食糧難の話はあまりきいてないのですが、父方の祖父
>(故人)あたりは話さなかっただけで、食糧難を経験したことが
>あるんではないかという感じがします。

 それはそれで大変だったのでしょうね。

>食べ物と戦争ということでは、身の回りの人にきいたのは、
>主に戦後の話で、父親が言ってた「アメリカ兵がチューイ
>ンガムやチョコレートをばらまいていた」「子どもの頃に
>はバナナは高級品だった」ぐらいでしょうか。父は今でも
>チョコレートの銀紙についたチョコレートの香りに懐かし
>さを感じるらしい。

 「ギブミーチョコレイト」なのですね。

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