表現の自由は、法学も数学もストリップショーも表現は表現。自由は自由。
同じです。
違うものとこじつける法学こそ、インチキ。そんな定義など、意味なし。
国民の表現の自由を守ることなどできない似非法学。

そもそも、憲法の表現の自由と憲法以外の表現の自由などというインチキをい
うこと自体がうさんくさい。自由でない自由と自由である自由と合憲でない戦
力と合憲の戦力と、・・・・戦力は戦力だ。

表現の自由は、国家統制という統制のみではない。統制という視点もあれば、
妨害という視点もある。妨害だろうと統制だろうと、表現の自由を踏みにじっ
てはならないということだ。
出版社の編集権で、出版拒否することのどこが表現の自由の問題だよ。
すりかえるのもええかげんにせい。

道路?何を言ってるんだ君は。路肩が道路か道路でないか?
アホか。
表現の自由に路肩があるか。表現の自由は「表現」の自由だ。
表現の路肩の問題じゃない。

SASAKI Masatoさんの<20050531202537cal@nn.iij4u.or.jp>から
>佐々木将人@函館 です。
>
>>From:ABE Keisuke <koabe@mars.sakura.ne.jp>
>>Date:2005/05/30 22:04:35 JST
>>Message-ID:<koabe-D4233D.22043530052005@news01.sakura.ne.jp>
>>
>>第一の質問に対しては、回答不能です。
>(中略)
>>> 問題を明確にするため
>>> 「表現の自由」の語の定義や用法を明確にしようとしているのに
>>> それを無視して「表現の自由」を使っている質問に
>>> 答えられる訳がありません。
>>
>>順序が逆でしょう。
>
>それでは私にはこれ以上説明が不可能ですね。
>したがって私は議論から降ります。
>他の方から説明を受けるなり
>自分で調べるなりして理解するか
>「佐々木の言うことはわからない」として
>放っておくのがよいでしょう。
>
>だいたいが私の質問は
>
>>そこで第1の質問の前提質問を提示します。
>>
>>「表現の自由」というのは
>>あらゆる局面で唯一共通の定義付けがなされている語なのですか?
>>(ただその唯一共通の定義について争いがあるというだけなのか。)
>>分野によって(たとえば法学以外の学問分野で)
>>異なる定義付けがなされていてそれは並立可能な語なのですか?
>>
>>まずこの点について御自身の立場を明示してください。
>>(明示できなきゃ議論は不可能です。そもそも。)
>
>まずこの点について……って書いているのに
>この点について書くことをしないのですから……。
>要するに理解以前に私の投稿が読めていないのです。
>読めていなければ明示できないし
>明示できないのなら議論は不可能です。
>
>ちなみにこの点について
>「あらゆる局面で唯一共通の定義付けがなされている語」
>とするなら
>「道路」の例を出してもなお「道路は1つ」と言うのと一緒で
>前提が違いすぎます。
>これだけ前提が違いすぎればその説明は私には困難です。
>……てえか、それだけ物分かりが悪いなら
>  法学の議論はやめなさい……ってくらいひどい。
>
>もし後者「分野によって異なる定義付けがなされていてそれは並立可能な語」
>なのであれば、
>そもそも「【憲法における】言論の自由」とか
>「【マスコミにおける】言論の自由」とか
>違う語であることをきちんと明示しなければいけません。
>「いや、何もつけなければ一般的な用法なんだ」
>と反論するかもしれませんが
>その一般的な用法が本当にあるのかどうか実は怪しいのです。
>あまり考えずにあいまいに使用しているだけでしょう。
>
>御自身の投稿した文章に対し
>【】をきちんと付すことができなければ
>(それは他者の引用をする時にも同様です。
> 筆者注として付すべきです。)
>それ自体「あいまいなままで議論をしようとしている」訳で
>批判されても仕方のない話です。
>
>このことをつらつらと考えていて思いついたのですが……。
>
>「鳥は飛べる」「ダチョウは鳥だ」「だからダチョウは飛べる」
>式の主張が言論の自由においてよく主張されることは
>少なくとも立木さんには共感を得られるところだと確信していますが……。
>「鳥は飛べる」「ダチョウは鳥だ」「だからダチョウは飛べる」
>が誤りなのは割と多くの人にわかってもらえるし
>(もっとも形式論理としては間違いではないよね(笑))
>たまに気づかない人がいても
>「鳥は飛べるの部分が問題あるでしょう?
> 鳥かどうかは飛べるかどうかで決めている訳じゃないし
> 現に飛べない鳥もいるんだから
> 鳥は飛べるの部分を絶対視してはいけないよね。」
>って説明するとたいていわかってもらえます。
>(なんたってJAVAのクラスの説明でよく使われるくらいだから。
> わかってもらえると考えている人は多いのでしょう。)
>
>だけどこれが「言論の自由」になると
>いきなりわからなくなる(人が堂々と投稿する)のはなぜでしょう?
>「こういう局面で「言論の自由」を使うのは誤り」とする理由は
>複数あるのですが
>そのうちの1つは
>「言論の自由に含まれればそれは尊重(保護)される」という点において
>保護される言論の自由とそうでないものがあるのに
>その区別をしないで一律「言論の自由」に含めてしまい
>そして「言論の自由であれば尊重(保護)される」という主張を行う。
>その誤りを指摘しているのです。
>「そんなことを言うのは変な人だから放っておけ」というのも
>1つの見識ですが
>北方ジャーナル事件において北方ジャーナルが
>「言論の自由」を主張をしたことは
>きちんとふまえなければいけません。
>
>わからないというから法学で説明すると
>「法学が全てを説明しているのか」とか言われてしまう。
>「鳥というのは卵で生まれる恒温動物なんだよ」って
>生物学的に説明したところで
>「生物学が全てを説明しているのか」とか言われないのに……。
>もしくは
>「法学以外に一般的な用法としての言論の自由があるんだ」
>なんてことが平然として語られてしまう。
>「生物学以外に一般的な用法としての鳥があるんだ」
>なんて主張は変だから、たいてい誰もしないのに……。
>……この点は見方をかえても説明できます。
> 「鳥は飛べる」というのは一般的には正しいかもしれない。
>  でもダチョウの例が出てきた以上は
>  一般的に正しいってことは
>  何の反論にもなっていないのです。
>  ……だけど反論になっていると思って堂々と書く……。
>※ダチョウは飛べない以上
> 「鳥は飛べる」「ダチョウは鳥だ」「だからダチョウは飛べる」
> 式論理はどこかがおかしいんだけど
> そのおかしさに気づかないふりをし続けるのは
> やはり一種の「オストリッチシンドローム」なんだろうか……。
>
>本当にわからないけど
>本当に知りたいのなら
>まず「鳥」に【】を付してみましょう。
>「鳥は飛べる」……う〜ん、飛べない鳥もいるから
>「【ある種の】鳥は飛べる」になるか。
>「ダチョウは鳥だ」……
>【ある種の】鳥だと……ある種に入るかどうかちゃんと考えなきゃ
>いけないな。
>……いつか正解にたどりついてくれそうな気がする。
>  表現の自由だって一緒です。
>
>生物学ではやらないことを法律学ならやるというのであれば
>(逆に生物学ではやるけど法律学ならやらないというのであれば)
>そこには法律や法律学に対する何らかの偏見があるのでしょう。
>(まあ生物学に対する偏見かもしれないけどね。)
>その偏見を除去してもらわないことには
>(「表現の自由」についてのあいまいな使用法を指摘するために
> そこを質問しても
> 「順序が逆」としか思えないのですから
> その偏見の除去は相当困難でしょう。)
>何を説明しても無駄です。
>少なくとも私にはできません。
>
>よって私はこの議論から降ります。
>
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>Talk lisp at Tea room Lisp.gc .
>cal@nn.iij4u.or.jp  佐々木将人
>(This address is for NetNews.)
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>ルフィミア「函館で桜の開花宣言だそうですよ。(5/1)」
>まさと「あんなに雪多かったのにね〜。」
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Great Sugawara
私のポリシー:一切個人的にメールも物も発送しません。
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