久間大臣の発言に異議を唱える人やニュ−スが一斉に報じられている。
 大臣の発言は、沖縄戦以降の状況を考慮すると、決して間違いでは無い。 まして、原爆投下を肯定している訳でも無い。
 ヤルタ協定、ポツダム会談の状況、 当時の戦況、東西冷戦に入っていた事、等を考えると「止む得なかった」と頭の中で整理する事も、一つの方法だろう。
 広島への特殊爆弾投下調査に当たった方の手記に、「私は自分達が開発競争に敗れた事を目の当たりにして、国民に対してお詫びしなければならいとの思いで、足が震えた」との記述がある。
 又、本土決戦になれば、確かにゲリラ戦に入り、双方とも数百万以上の犠牲者が増えただろうの指摘もある。
 アメリカ人から視れば日本人は決して投降しない、死ぬまで戦う人種と思われていたのだろう。 この考え方は防御よりも攻撃力を重視した航空機や、後半の神風特攻隊や挺身隊思想に現れている。
 ヤルタ時代から北海道はソ連、九州は中国、本土は米英で二分割案があり、ソビエトは北海道割譲案を譲らなかったと言われる。この事は停戦後に樺太、千島に侵攻して現在に至っている事からも伺える。

 原爆投下を肯定する立場にはいないが、唯一の被爆国である事と、状況を客観的に把握し、結果を理解する事とは異なる。
 自分なりに整理とは、相手の行動を肯定する事とは、全く意味が異なる。 余り騒がない方が良いのではないだろうか?

 只、アメリカがドイツに原爆が間に合っていたら、使用していたかは大いに疑問に思っている。多分ドイツ降伏迄に本当は「リトルボ−イ」は試験投下(広島も試験投下)は可能だったのでは無いかと思っている。
 日本から得る物(者)が無いか、有色人種は人間では無いと思っていたのだろう。
 冷戦突入時に日本列島が重要な戦略拠点になる事を想定して、先ずは占領を行う事を優先したのかも知れない。