青龍 <shou77@hotmail.com> writes:

> > 僕は逆に、「道義が理由で文句を言えない」と言う人は、本気でチベットや
> > チェチェンを救う気はなくて、それに託つけているだけだと感じています。
> 
>  これはちょっと心外ですね。

それは失礼しました。

>  私の立場は、道義だの人道だのを持ち出すのなら、ご都合主義的に出す
> のではなく、その立場を一貫すべきだというものです。

たとえば、イラクのクウェート侵略を実力行使で咎めた国はだいたい過去に
侵略した経緯があり、僕の知る限りではですが公式に反省も謝罪もしてはい
ません。また、クウェートが“救われた”のは、たまたま親西欧的な産油国
であったからという理由がかなり大きいでしょう(裏を返せば、チベットや
チェチェンが“救われない”理由のある程度は、そうではないからですね)。
つまり、きわめてご都合主義的なのです。

では西欧諸国は、自らの過去の行いについて反省や謝罪を(おそらくは絶対
に)行わない以上、ご都合主義的に道義や人道を持ち出してクウェートを助
けたりせず、フセインの思うが侭に任せるべきだったのでしょうか?

> 私は、現在でもチベットやチェチェンへの侵略に反対していますし、同時
> に過去の日本の侵略についても反省すべきであると思っています。

それは承知していますが、青龍さんの見解によれば、いまその両者の間にバッ
ティングが起こっているわけですよね。青龍さんにとって、優先すべき順位
はどちらが上なのでしょう。

>  これだけではちょっと判りづらいのでもう少しこのあたりを
> 展開していただけますか。

「今日本に求められる」というと何やら喫緊の課題のように聞こえるので、
そこまでの重要性はないのではと思う、というほどのことです。

>  私の理解では、過去の侵略についての態度を変えないということは、少な
> くとも過去の侵略の事実を否定したり正当化しないことです。

ここについて異論はありません。

>  これを前提としつつ、現在の中国に対して、過去の侵略に関して中国に対
> して示す態度を変更するというのは矛盾すると思うのですが、NISHIZAWAさ
> んの主張によるとそうではないみたいです。

後段から「過去の侵略に対して」を外して下さい。

ぶっちゃければ、何をするにもいちいち60年前の事に言及しないと話が始ま
らないような不健全な関係をいいかげんなんとかしたら?ということです。
日中双方とも、そうであった方が都合がいい勢力が外交を支配している以上、
現実には難しいとは思うのですが…。