ミャンマーの僧侶は、偉い。
銃口がやってくることをはっきりと知りつつ、
衆生の危機において、衆生を救済すべく範を示した。

政教分離は、
衆生を痛めつける強権政治、独裁政治を
宗教への信仰心を用いて、批判力を奪い、人間ロボットにすることで実現する
からこそ、宗教という麻薬を政治に混入することを禁じているのだ。
創価学会の票を公明党が集票しているのはまさに、政教分離に反する行為だ。

政治は、つねに、生命と財産をまもるために、批判をし、批判の目で監視をす
ることで、正しく機能する。
「道徳」や「宗教の教義」という、一切誰も批判できない、常に正しいものを
理由にして政治されれば、独裁になる。
採決しても真の民意とはいえない。心を縛った状態の採決である。批判なき政
治は、独裁である。

政教分離は、こうして宗教で民衆を縛って政治をしては正しい政治にならない
から禁じている。僧侶がミャンマー軍事政権のような独裁政治にノーを発する
のは、よって禁じている「政教分離」とは、一切関係ない。源泉を異にする。
むしろ、宗教が、衆生を救済するという使命を持つ以上、衆生救済のために、
命をかけて行動しなければ宗教とはいえない。

日本の葬式仏教にもはやミャンマーのようなまっとうな僧侶階級は存在しな
い。社民党や日本共産党という本職ですら、もはや、ファシズムになろうが自
分達のビオトープがあれば安閑と暮らして満腹の腹に鼻提灯の昼寝を決め込ん
でいる。教育基本法は改悪されても平気の平左衛門。改憲の流れ、防衛省の昇
格にも平然泰然。民衆への銃口は日夜成長を続けている。日本がミャンマーの
軍事政権のようなものに手足口を押さえられる日も近い。
ものもいわない不良政党。看板の党名文字が、党の歴史が、赤面している。