放火の悪さは消火の良さに優越するのか (Re: 部分と一般化
KGK == Keiji KOSAKAさんの<c55s3l$4rm$1@film.rlss.okayama-u.ac.jp>から
>> 「自己棚上げは駄目」と認めているのに、そんな小行為への評価にこだわり続
>> けて大行為への評価を妨害するってのは無意味だし有害でしょ。
>> #そんなものが問題ないか否かなんてどうでも良いことでしょうに…。
>
>いいえ。手段の評価がなければ行為の評価は完成しません。
>マッチポンプの場合は、例えば、
>目的: 善人として目立つ
>手段: 「放火」したのちに「消火」する
>結果: 家屋が半焼
>というようなものですね。
># もちろん、手段を目的に含めるような愚かなことはしません。
>
>で、目的の評価は、「悪くはないが非常によいわけではない」。
>手段の評価は、まず「放火は非常に悪い」、「消火はよい」ときて、「放火の
>悪さが消火のよさをはるかに上回る」ということで、手段の総合評価は「非常
>に悪い」となります。
>結果は、「非常に悪い」でいいですよね。
>
>というわけで、マッチポンプの総合評価が「非常に悪い」というものになるわ
>け。
以前にも尋ねて回答がなかったように思うが、再度尋ねてみます。
如何なる根拠をもって「放火の悪さが消火のよさをはるかに上回る」と言える
のでしょうか?
>もし、一つの手段のよさが他の手段の悪さを圧倒していて、結果も悪くなけれ
>ば、評価は逆転するかもしれませんが、マッチポンプの場合では有り得ないで
>しょうね。
その「在り得ない」という主張の根拠が全く不明なわけです。
たとえば、「A氏が建物Bに放火し、C氏が建物Dを消火した」というように物や
人との関連性を排したとして、そもそも「放火の悪さ」と「消火の良さ」を如
何にして比較しようというのでしょうか?一体何をもって「遥かに上回る」と
結論付けられるのでしょうか?
#私には感覚的な主張をしているようにしか思えませんが…
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wacky
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