"crx" <kimicrux@crux.ocn.ne.jp> wrote in message
news:bh302j$fup$1@nn-tk102.ocn.ad.jp...
>
> J_Saita3 premium wrote in message <3f34e15e_4@news.premium-news.net>...
>
>
> 「般若波羅蜜多」とは、古代インド語では、「パニャ―パラミタ―」という。
> 般若(パニャ―)は智慧、仏智であり、波羅(パラー)は彼岸という意味であり、
向
> こう岸つまりあの世の極楽ということ。蜜多(ミター)蜜が多いという中国の当て
字
> で、意味は内在とか家の中というような意味。
> 通して言うと、観自在菩薩が、深く般若波羅蜜多を行じた時、
> つまり、「内在された偉大な智慧に到達するための生活行為を、深く実践したと
き」
> という意味になります。
それは分かりにくいですね。
あなたのお説は学問的にどなたかの定説なのですか?だれのでしょう。
それとも、ご自分の思い込みなのですか?
ただ、言葉を単語で分解しているのみでは。

あなたの説では、【生活行為】を実践するということが
行深般若波羅蜜多
とのことですが、生活に行為などありません。生活は、生活。行為は行為。
まるで、生活行為感情実践とか、なんでも単語をくっつけた造語とおなじ。

あなたの言われることが【生活行為】なるものがあって、それを【実践】するという
なら、
実践と生活行為との違いは説明できますか?同じことを言ってますよ。
どう違うといってるのでしょう。
>
> >この般若般若波羅蜜多の行とは何をさすと思いますか。
> >皆さんのお考えを承りたい。
>
> つまり内在された偉大なる仏智に到達するためには、以前にもどこかに記されまし
た
> が、六波羅蜜をすることがあげられるでしょう。復習しますと、
> 布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧。の六つです。
> この中で意味の分かりずらいものがありましたら、どうぞ御遠慮なくお尋ねくださ
> い。


それはおかしい。生活行為を実践すること
という解釈といったではありませんか。
なぜ、舌のねも乾かぬうちに前言を翻すのです。
でたらめを言っているではありませんか。
余り不真面目なことは言うべきではないでしょう。

以下、どこが生活行為なのでしょうね。あなたの生活行為とはこんなものなのでしょ
うか。

>
> 「忍辱」とは、たとえZZ氏に馬鹿にされたと思っても、すぐに感情的になって仕返
し
> をしたりするのではなく、じっと耐え忍びその意味について、自ら思いを馳せ、そ
の
> 出会いの有り難さについて気付き、感謝してふりかえることが出来る等・・・。



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