河野真治 @ 琉球大学情報工学です。

GAME09 をすぐに載せたので、結構、使ってました。GAME09で書い
た自作の6809アセンブラをかなり長く使っていたはず。ASCIIに
でも投稿すれば良かった。Hash tableしらない時期に書いている
ので、最底だけど。

In article <8364j1289u.fsf@sun.akiyama.nu>, Tomoaki Akiyama <tomoaki-netnews@akiyama.nu> writes
>  似たような構成かも。私もCPUは6809でした。RAMが2114×2で1KB。ビデオイ
> ンターフェイスは何だったかなあ。そのうち2716に自作のモニタプログラムを
> 載せました。で、この時はROMを買った販売店の店員を拝み倒して、そこのROM
> ライターを借りて書き込みました。いい時代だったよなあ、というのはやはり
> 年寄りの証拠? 

確かに仲間意識あったよね。金にもなったし。2716の消去には殺菌
燈を愛用してました。机の引出しの中で消去。お日様でやってた奴
もいたけど。

> デバッガも無し、デバッグもなしで一応動いたのだから、我
> ながらたいしたものです。まあ512バイトにも満たないちっぽけな代物でした
> が、キーボードの読み取りと画面への表示、メモリの読み書きなんかができた
> ような。というか、それができないとつらいので作ったハズ。

RS232C端末が高価で手が出ないんですよね。PC8001持っていたはず
だし、そいつに232C interfaceを外付した記憶もある。それを端末
代わりにしていた時期もあるはず。でも、FLEX 9 もテレビで使っ
ていた。

Video はMC 6847 だったじゃないかなぁ。Charcter Generator 内
蔵のカラーでした。最後にはHitachi 46505 で、白黒を使っていた
んですが、256kbtye memory がどうにも不安定で捨てました。SIMM
がない時期だった... 

> > 6809は、256 byte のmonitor とか、2kbyte ASSIST09 とかopen source
> > な(って言葉は当時なかったが...) モニタがあったので便利でした。
> 
>  ああ、これは知りませんでした。知ってればもう少し楽できたのかな。

それは、勿体無い〜 ASSIT09 は、break point とかtimer 割込み 
を使った 1 step trace とかあったんです。2kbyte は、もちろん、
打ち込み。あはは。

でも、知らないってことは雑誌とかあまり読まなかったんですね。
RAM に6809の自作の記事(太田さんと手塚さんのあれだ)が載ってい
たので、それを参考にしてました。

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Shinji KONO @ Information Engineering, University of the Ryukyus
河野真治 @ 琉球大学工学部情報工学科