NAKAMOTO Tetsuya wrote:
> なんかドイツ人が過去の歴史について反省しているか否かの議論が続
> いているようですが、それについて私の考えを述べるのは止めておき
> ます。ただ、大不況と失業と貧困と労働運動と宗教と民族主義が最悪
> の形で重なった結果がナチス・ドイツであり、その原因、すなわちゲ
> ルマン人をそのように追い込んだのは当のゲルマン人だけではないと
> いうことは思想の左右を問わず多くの人に理解して欲しいです。

結局そういうことなんでしょう。つまり、ことはそう単純ではないわけですね。
複雑な事象は、行くところまで行くと(戦争の勝ち負けという)白黒で決着がつ
くことになるわけですが、そのときに、それまであった複雑な事情が一挙に単純
化してしまう。そうなったときに、「いいか悪いかと問われると悪いとしか答え
ようのないもの」に対して、それまで「複雑な事象」としてかかわってきた人間
としては、割り切れない気分を持ちつつ、その「事象の単純化」とおりあいをつ
けていかざるを得ないことになるわけです。

そのような「おりあい」のひとつが「悪いのはNAZIだということにする」で、そ
れは(東西ともに)ドイツにとっては「国威回復」という意味で便利な方便だっ
たはずです。

そうやってせっかくおりあいをつけて心の平安を保ってきたのに、わざわざ「複
雑な事象」を掘り起こすことは勇気がいるし、心理的にはある意味危険なことで
す。それは、ことが複雑であればあるほど、あらたな「おりあい」を見つけるこ
とが困難になるからです。「ドイツ人自ら作ったヒトラー映画」がパンドラの箱
だったり浦島の玉手箱だったりするのにはそういう意味合いがあります。

日本の場合、その「パンドラの箱」はすでに開いてしまっています。それを端的
に示すのは、優勢な「おりあい」がひとつではないという事実です。日本では
「敗戦」を心理的に処理するための「おりあい」が、ドイツほどひとまとまりで
はありません。「天皇のせい」にしたり「軍のせい」にしたり「神社のせい」に
したり「財閥のせい」にしたり「戦犯のせい」にしたり「軍国主義のせい」にし
たり「大政翼賛会のせい」にしたり「君が代のせい」にしたり「日の丸のせい」
にしたり「愛国心のせい」にしたり「教育勅語のせい」にしたり「共産中国のせ
い」にしたり「ソ連のせい」にしたり「日本に先行した帝国主義列強のせい」に
したり「原爆のせい」にしたり「運のせい」にしたり「日本人のせい」にした
り、という具合で、結果として国民心理が複雑化して百家鳴騒、船頭多くして船
山に登るの一歩手前というような状況になっているわけです。こういう多様性を
「健全性」ととらえる向きもあるわけですが、この状況が自分の国に対するネガ
ティブな感情を助長して止まないのはやんぬるかなという気がします。しかしこ
の状況をどうしろと言って、もはやどうしようもない感じもします。

ドイツはパンドラの箱を開けてどうするつもりなんでしょうか。

萩原@グリフィス大学