2004/12/18 23:49:46
Shinji KONOさんは書きました。
<3990930news.pl@rananim.ie.u-ryukyu.ac.jp>
> 
> 図式的な部分は感じるので、そういう共通点はあるのかも知れない
> けど、銀英伝は「わざとちんぷな図式を使う」で、十二国記は、「
> 単純な幾何学図式を使う」っていう感じかな。

国の幾何学的な配置もそうですが、王権を巡る法則なんかを見ると、どうもそこに
人為的な匂いを感じてしまうんですよね。これってSF者のサガでしょうか?

> 自分の作った設定に対して挑戦していくみたいな感じが部分部分
> にあって、それは危ないと思います。

前述したように、十二国における”天”にはどこか造物主としての意図が透けて見
える気がします。そもそも”天”とはなんなのか?道理(モラル)なのか、はたま
た単なる自然法則にすぎないのか?

法則が民の幸福を気にするはずはないし、道理とすればあの世界に現実世界以上に
”天”が望まぬ悲惨と苦難が満ちていることの説明がつかない。そもそも昇鉱のよ
うな人間の存在を許すはずがない。とすると、とすると、”天”は地上の民がどう
なろうと本当は気にしていないのではないか、”天”の意志は別のところにあるの
ではないか?

昇鉱のやったことは悪逆非道だけれども、論理的には彼の考えは間違っているとは
言いにくい。彼の抱いている疑問は陽子のそれでもあるわけですしね。向隆にいたっ
ては、はっきり明確に”天”への疑惑を抱いているようにも思えます。

このことが泰麒の失そう事件によって具体化し、最終的には”天”への反乱と一二
国の崩壊となるのが、後半の展開になるのではないでしょうか。もっともこれは大
変なことで長らく新作が出ていないのを見ても、小野さんもどう決着をつけたらい
いか、悩んでいるんでしょうけど。

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                          By 漂白の風狂人こと伊藤正一(pcrdito@myad.jp)