On 1月30日, 午後12:01, t...@lbm.go.jp wrote:
> In article <1170086385.813410.83...@a34g2000cwb.googlegroups.com> minamish...@hotmail.com writes:

> >「湖『西』線の『大津』」を略して西大津になったそうです。
>
> 苦しい説明にも程があるX-<

この説明を初めて見たときには、会議のノリで「『湖西線の大津を略して西大津』でええやん」的な話を
想像しました。でも、曲がりなりにも「西大津」が受け入れられている根拠は大津市の西ではなく、琵琶湖
の西にある地域だからだと思いますので、湖西側の大津の意味なら確かに「そうかな」とも思います。
あと、「副都心の核として『大津』の名は入れたい」と書いています。この意気込みが20年間も空回りすると
は想像していなかったでしょうが.....
一方で、ここで違和感を書いておられる方が多いのもあって「大津京」への改名の動きがあるのでしょう。
一説には新快速敦賀延長を機に「雄琴温泉」と併せて改名するらしいという噂もあったのですが、
延期(?)になったようです。大津京の位置の確定は湖西線の開業には間に合わず、神足→長岡京の改名
があったときに動きに火がつきました。いくらトホホな理由で決まったとはいえ、せっかく定着している名前を
変更してほしくは無いですがねえ。どうなることやら。

> >あと、地元の要望が通ったのは「新滋賀里」→「唐崎」、
>
> これは、元の案が悪過ぎます。

反対意見に「駅の位置が滋賀里ではない」ためとありながら、一方で「『滋賀』という地名の発祥の地でも
あり入れたいのだが、志賀町があってややこしいので『唐崎』」にしてくれ」と、悩ましいことを書いてます。
近世集落では唐崎は滋賀里よりはるかに小さいのに近江八景のおかげで駅名になって、今となっては
けっこう大きな地名になりました。
あとは「南草津」(仮称は「野路」)を「矢橋口」か「東矢橋」にすれば駅で8つそろったんですが、さすがに
それは無理でした。

> >「蓬莱」の設置があり、通らなかったのは「叡山」→「坂本」、
>
> JR化後に「比叡山坂本」に改称するという形で通しましたね。
> それにしても、何故当初「叡山」だったんでしょうね。
> 江若鉄道の駅でいうと、「叡山」ではなく、むしろ「日吉」駅に相当するのに。

「日吉」と「比叡山」の知名度の差でしょうかねえ。第一希望は「坂本」でしたが、肥薩線とダブらないように
したみたいです。第二希望は「比叡山」でしたが、まあ「叡山」でもええかということになったのでしょうかね。

> >「北小松」→「小松」、
>
> 何故??
> 南小松とのギクシャクでもあったのかなあ?
> 「南小松」=「近江舞子」なんだけど、それじゃ満足できないってこと?

旧小松村の大字が3つ(北小松、南小松、北比良)あって、その総称を地元で「小松」と呼んでいたのでそうして
ほしいということだったようです。ご想像通り北陸線の小松に気をつかって原案通りとなりました。

> >「永原」→「奥琵琶湖」、
>
> 蹴って大正解です!!

「『永原』だと塩津と合併して西浅井町になったのに旧村意識が残る」のを懸念したようです。
「志賀」が「近江木戸」にならなかったのもこの理由かもしれません。
奥琵琶湖パークウエイが施工中なのも理由に挙がってます。

> >要望で無く改称したのが「箱館山」→「近江中庄」があります。
>
> 元の案がヤケクソ気味のような気も。

引用の要望は71年のものなので、その後にまた議論があったのかもしれませんね。
江若駅の無い区間の駅名はやはりもめたようですね。

逢坂山 〜都の跡は知らねども、逢坂山はそのままに(鉄道唱歌四四番)