飯塚(東京都)です。

> > > iizukaさんが、「祓いますよ」と言っているだけ。
> > > 通常祓っている、という根拠は示せていませんね。
> >
> >  言ってる意味がわかりません。
> >  前段で「普通の神社の儀式」と認めたのに、なんで
> > 通常祓ってることが理解できないんですか?
>
> 還ってもらう≠祓う
> ですからね。

 そりゃ初耳ですね。
 どこの文献で確認できますか?


> iizukaさんが言う「祓う」とは、実際に誰が何に対して
> どういうことをすることだと言っているんですか?
> その神社において、祓う力はどこから来るんですか?
> 祀っている神の力で祓ってもらうんでしょ。

 それ、理解が全然間違ってます。
 祓うのは人が、人以外のもの、今回の場合で行くと英霊
に対して行います。
 祓う力というのが何を言いたいのかわかりませんが、あ
らかじめ決められた儀式を行うことで、祓うことができます。
 これは祓うときだけでなく、招くときも同じです。
 そこに神の力はありません。その代わり、訓練を積んだ
神職が必要です。
 普通、神社に祀ってあるのは、神の力でなく御神体です。


> > > >  靖国の英霊は、靖国にいるんですよ。
> > > >  靖国の神事で招いてるんですから、他にはいないし、行かない
> > > > でしょう。
> > >
> > > 意味不明です。
> > > 確かに靖国にはいるでしょうが、他にいないとか、行かない、
> > > 行けないことにはなりません。
> >
> >  それこそ意味不明ですよ。
> > 「英霊は靖国にいない」なんてことがあるわけないんだから。
> >  卍がためさんですら言わなかったことなのに、荒唐無稽す
> > ぎます。
>
> 神は、必ず物理的な空間に縛られているんですか?
> (土地に縛られている神もいますけどね)
> 神を空間的に縛るパワーは何処から生まれるんですか?

 縛ってるかどうかは知りませんが、靖国の本殿に霊璽簿
が延々並んでいる場所があります。本来霊璽簿は御神体で
すが、靖国の場合、招いたままずーっと神がいるので、霊
璽簿=神となってます。
 招いた神が、勝手にいなくなるということは、ありませ
ん。せっかく招いても、来るかどうかわからないというの
ならわかりますが。
 招くのに神事が必要なら、祓うのにも神事が必要です。


> > > その人(自分)の墓にも行けない?
> > > お盆でも家に戻ることもできない?
> > > そんなこと、誰が言ってるんですか?
> >
> >  英霊は自分の墓や家に行くより、靖国で皇国の干城と
> > なることを求められています。というか、もう戦死した
> > 時からそういうことになってる。
>
> なってる?そんなこと誰が言ってて誰が決めたんですか?

 最初は明治政府、後に天皇です。
 1968年太政官府布告「癸丑以来殉難者霊祀」
「なほこれより後も王事に身を捧げて斃れた者達」

 靖国神社と名を変えて以降は、陸海軍省の管轄で
その中で合祀の選定が行われましたが、その決定は
天皇名で行われています。


> > > >  神道のは神は現世への執着でいるわけじゃないですが、
> > > > その代わり現世に長くいると、「荒魂」(凶つ神)にな
> > > > るので、用が済んだらとっとと還ってもらうんですね。
> > >
> > > そんな、「その代わり」はありませんね。
> > > 天照大神がいなくなったら大変です。
> >
> >  仏教に関して、現世にいたら成仏してないってことは
> > よろしいですね?
>
> 「現世」の意味を説明できないということがわかりました。

 現世の理解でなく、成仏の理解をしてください。
 仏教に関して、現世にいたら成仏してないってことは
よろしいですね?


> >  天照大神を祀ってるのは伊勢神宮ですが、あそこにも
> > いつも神様がいるわけじゃないですよ。「大祓」という
> > 儀式は読んで字のごとく祓うための儀式ですね。
>
> 御神体を祓うことはあっても、
> 神を祓ったりはしてませんね。

 御神体を祓って、神に還ってもらうんですよ。
 伊勢神宮にだって、年中神がいるわけではありません。


> >  mac-inさんが、「その代わりはありませんね」と断言
> > する根拠はなんですか?
>
> 「現世に長くいると、「荒魂」(凶つ神)になる」ことが
> 立証されていない、と言っているんです。

 これは神道の基本的考え方です。
 神道に関する文献なら、どこでも書いてあると思いますよ。
 ちなみに私の参考文献は「神道」(三橋健
大法輪閣) です。


> この場合の「現世」ってなんですか?

「現世」は人間が暮らしている世界全体です。
 対して神がいるのが「霊界」。
 仏教の成仏した後行く世界は「極楽浄土」もしくは「冥界」。


> 御神体の中に神がすっぽり入って
> いるとでも思っているんですか?

「入ってる」とは言いませんな。「降りている」と言います。


> > > > 「現世に霊魂を繋ぎ止めておくこと」はどういうことか?
> > > > 「霊魂を極楽浄土に昇らせず、そのままにしておくこと」は、
> > > > どういうことか?
> > > >  このことは、普通の仏教の文献に記述がありますよね。
> > > >  それは悪いことだし、やってはいけないこととされて
> > > > います。「気持ち悪い」「かわいそう」というのは、端
> > > > 的にわかりやすくするための、私の意訳です。
> > >
> > > 神仏融合の考えは間違っているという意見であれば、
> > > それはそれとして伺いますけれども、靖国固有の問題
> > > ではありません。神道の考えかたを否定したいのなら、
> > > 靖国とは関係ない話ですね。
> >
> >  神仏習合は今ここでは関係ありません。
> >  仏教流の喩えは間違ってないということでいいですか?
>
> 勝手な意訳でしかありませんね。
> iizukaさんの個人的な感想ですから、どう感じようと自由ですが、
> 一般的な話になるはずもありません。

 前にも書きましたが、
「現世に霊魂を繋ぎ止めておくこと」はどういうことか?
「霊魂を極楽浄土に昇らせず、そのままにしておくこと」
はどういうことか?
 これは仏教の文献を読めば、必ず書いてあります。
 それは「悪いこと」だし「やってはいけないこと」とさ
れていますね。
 私の個人的感想ではありません。 


> > > >  何がって、だから仏教的に靖国神社は理解できる施設じ
> > > > ゃないとわかってもらうための喩えですよ。
> > >
> > > 神道一般対仏教の話で、靖国とは関係ない話をしている、と。
> >
> >  違います。
> >  仏教的に靖国神社は理解できる施設じゃないとわかって
> > もらうための喩えです。
>
> 違う宗教なんだから違うのは当たり前。

 そう思う人にはいらない喩えですが、そうではないから
喩えが必要だったんです。


> > > 皇運ノ挽回や王政復古が主目的であることなど、
> > > 何にも証明されていません。
> >
> >  慰霊するだけなら、招く必要がないからです。
>
> 慰霊するのに招く必要が無い?普通は招くでしょ。

 せっかく霊界に行った霊魂を、なぜまた招魂する必要
があるんです? 豊作祈願とか雨乞いといった古くから
ある招魂祭も、神を呼んで豊作や雨を降らしてもらおう
と利用することが目的です。
 千住の小塚原では、江戸城の北東(鬼門)に当たるこ
とから、罪人の骨を埋める神事で招魂していましたが、
これも同じです。
 戦時中に行われた招魂祭が、出陣の前に行われたのも、
戦勝祈願の目的があったからです。

 神道の慰霊は「魂鎮」(たましずめ)と言います。
 意味は「魂を慰め鎮めること」ですね。
 招魂を用いて行う儀式は、逆の「魂振」(たまふり)ですね。
 意味は
「死者の魂を呼び寄せて生者の魂を奮い立たせること」
です。


> 招いたからといって、皇運ノ挽回や王政復古が主目的で
> あることにはなりません。
> 招かないのが普通だと誰か言っているんですか?

 何度も文献を上げています。
「慰霊と招魂」(村上重良 岩波新書)にも記述があります。


> > > >  大招魂祭の祭文に書かれていたんですから。
> > > >  文献もそれなりの研究者のものです。
> > > >  根拠もなく否定しないでください。
> > >
> > > 書かれていたのは事実であっても、
> > > 関係の無いものを持ち出してきても、あなたの思い込みを
> > > 述べた
> >
> >  だから思い込みだけじゃなくて、文献があるっちゅうに。
>
> 「皇運ノ挽回」も目的の一部である、という文献であって、
> 「もともと慰霊施設じゃない」という文献ではありませんね。

 いや「元は慰霊施設ではなかった」と記述されてますが。

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 東京都 飯塚顕充