5日目その6 [境〜久保田]

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走行日: 2009年8月5日(水)

[地図: 和田〜久保田] [地図: 峰吉川〜和田]

一歩, 一歩, また一歩, 近付いて来る本拠地秋田。しかし同時に, 一刻, 一刻, また一刻, 近付いて来る日没。勿論, 暗くなったってもう道は解りますから, 迷う事は無い……筈です。でも周囲が見えないと『ただ走るだけ』になってしまいますから, 極力陽のあるうちに行動するのが水野式旅行ノススメ。急がなきゃ!

……そんなだから, 写真をろくに撮らずに進んでしまうという, 本末転倒な事になるんだってば。本当にこれで最後なのに, 少々お見苦しい頁になってしまいました。

執筆上の参考資料:

写真コメント
[写真ありません]

本当に余裕無くしていたのか, 峰吉川から山越えして上淀川を経て境に到るまで, まったく写真を撮っていません。

旧街道が峰吉川沿いに蜂の山越えの『善知鳥(うとう)坂』『二丁坂』を通る道なのに対し, 旧国道は奥羽本線と同じく2本西の谷を経由しています(明治天皇巡幸時に問題となり, 明治20年頃に開通)。山を越えた後の下りの地形が悪いから, 隧道または堀割の技術が発達して初めて工事できたって事じゃないですかね。現在の国道は, 2つの谷の間にある別の谷を経由し, 山を越えた後は旧国道と一致しています。

荒川を上淀川橋で渡ったところから, 羽州街道第32の宿場・上淀川宿となります。角館・生保内へ向かう繋街道(現在の国道46号に相当)の追分になっています。旧国道がありますが, バイパスと近接しているため(200mくらいしか離れていない), 往時の雰囲気を残しつつも現役の気配が感じられます。

[写真: たけや酒店]
(16:53)

淀川支流, 名称不明の小川を越えると, 羽州街道第33の宿場・境宿となります。川で判りやすいほどはっきりと区切られているのですが, 実質的に接触している二つの宿, 当然のように合宿していますし, 果して両方とも本宿ということはあったのでしょうか? 現在の集落規模からすると境村の方が大きいので, 上淀川宿は間宿あるいは助郷だったのではないかと思っているのですが。

そして境といえば, 奥田ひとしさんの実家・奥田酒造店の所在地です。旧国道を通るのは初めてなので, 見付けられないかなーと思っていたのですが, 残念発見できず。でも『千代緑』のラベルをぺたぺた貼ってる酒屋さんはありました(^^)

[写真: 境本陣跡]
(16:56)

境宿の本陣跡です。民家すら無くスカーンと空白になっちゃってます。明治天皇行在所碑はあるけど……な, 何か建てましょうよ!?

[写真: 羽後境駅]
(17:03)

境の町は結構な長さがあり, なかなか駅の場所が掴めない……あー17時過ぎてしまった(町内放送だか近隣の病院の放送だかが入ったのです), 見過ごしてしまったらどうしよう, とドキドキしながら, 結局は首尾良く見付けた, 羽後境駅。元は単なる『境』駅だったのを, 武蔵境駅(中央本線)と同時の大正8年に旧国名付きへ改称した駅です。他に信濃境駅(中央本線)などがありますが, それらは最初から旧国名付きです。

[写真: 秋田市]
(17:24)

淀川を渡ると仙北郡から河辺郡へ移るのですが, 昭和30年の合併で河辺郡船岡村が仙北郡協和町の設立に参加したため, 以降の郡境は羽州街道に於いても船沢集落と神内集落の間ということになっています。それは大曲から秋田にかけての区間にある2つの難所の2番目を越えた後ということであり, 現在の自治体では……秋田市に到達という事になるのですよ。旧河辺郡河辺町なので, 秋田市という意識ないんですけど。

船岡〜船沢〜神内の山越えは, 峰吉川〜上淀川の善知鳥坂・二丁坂と事なり林道・遊歩道としてすら整備されていないため, 痕跡が薄れていると聞いています。未舗装・屈曲というだけでも時間がかかるのに, 更に『道を探す』『藪を抜ける』みたいな労力を要する道に突入するのは, 17時過ぎている現状では無謀を通り越して自殺行為です。国道を全力で走り抜けました。こちらの坂の名前は, 船岡側が『長坂』らしいのですが, 神内側は不明です。

[写真: みちのくコカコーラボトリング秋田工場]
(17:31)

神内に入るともう大きな山越えは無く(註: 国道の場合), そして都市郊外の雰囲気を醸し出して来ます。まず最初に目に付くのは, みちのくコカコーラボトリング秋田工場でしょう(^^;;; これを見たら, ああもうすぐ秋田だ, って思うんです。いや今の自治体では既に秋田市ですけど。

[写真: 河辺ドライブイン]
(17:32)

もう1つ, この付近のランドマークと言えば, 河辺ドライブイン。道の駅なんていう道路と一体化したようなものが発生する以前, R13ならまだ和田トンネルがバリバリ現役だった頃, つまり私が小学生の頃, 遠足なんかで秋田を観光バスで出発して最初に休憩するのはいつもここだったんです。まさか『河ドラ』なんて名乗るようになっているとは思いもしませんでしたが(^^;;;

[写真: 和田駅]
(17:41)

時間短縮のため街道を無視して国道を走って来ましたが, ここまで来たらまた街道辿りに復帰します。和田の旧国道=羽州街道に入り, まず目指すは和田駅。和田は旧河辺町の中心集落です。おお, バス停も既に秋田中央交通だ!

[写真: 和田郵便局]
(17:43)

駅周辺の旧国道沿いが, 羽州街道第34の宿場・和田宿です。次の戸島宿との合宿で, 下半月担当。鉄道駅ができたため河辺町の中心集落となりましたが, 藩政期には式田宮崎村(和田)より野田高野村(戸島)の方が大規模だったみたいですね。本陣があったのは戸島だけみたいですし。

あ, 『河辺郡』の中心集落というなら, 牛島村ですよ? 何しろ郡役所所在地ですから。

[写真: 戸島郵便局]
(17:51)

羽州街道第35の宿場・戸島宿は, 久保田宿(久保田城)を次に控えた宿場であり, 佐竹氏が整備に力を入れた町です。現在は道型以外に面影を感じることは無いのですが……道型も, 秋田空港や秋田自動車道へのアクセス路のため色々変わっている, という印象を受けました。じっくり探せば色々あるのかもしれませんけど。

[写真ありません]

豊成橋で岩見川を渡ると, いよいよ平成の大合併前の秋田市が目前に迫ります。最後の難関は, 御所野坂。御所野の丘陵地帯へ登る坂道です。ま, 花立坂よりはマシですけどね! ただここの問題点は, 坂を登った先の丘陵上に, 平成に入る頃造られた『御所野ニュータウン』。花立峠の時, 山形ニュータウン建設で羽州街道が消滅しているのを知った愕然とした事を憶えていますか? 実は御所野地内の羽州街道もこれで消滅しているんです。こちらは最初から知っていましたから驚きはしませんが, 道なりに進んで行くと別の場所へ運ばれてしまうこの悔しさ, どうしてくれようか。

とはいえ, 御所野ニュータウンの先, 横山以降秋田市内の羽州街道は大体走行済みですので, 今ここで意地になる必要は無いと考えました。むしろ, 駅巡りを優先しましょう。御所野の脇に最後の1駅が残っているんです。

[写真: 四ツ小屋駅]
(18:19)

御所野ニュータウンの商業地区を突っ切る形になったため, 久々に繁華街を通ったって気分になりました。跨線橋で御所野の丘を駆け降り, 脇に入って駅を目指し……またどこにあるんだか判んなくなったよ。ちょっと探して, 辿り着きました四ツ小屋駅。秋田駅の隣駅なんですが, 間に秋田車両センターを挟むため結構距離あります(190円区間)。

[写真: 旧仁井田村役場跡]
(18:34)

さて, 残るは秋田駅のみとなりました。前述の通り御所野以降の羽州街道はほぼ通った経験がある事と, 去年は秋田駅西口(初期秋田市側)へ辿り着いた事から, 今年は秋田駅東口を目指そうと考えました。なので国道13号を渡って仁井田集落に突っ込み, 街道は北西へ進むところですが北東を目指します……っと, うわわ, その手前で旧仁井田村役場跡を発見! そしてバス停の足元にあるのは, 不覚にも確認しませんでしたが, 道路元標でしょうね……確か仁井田村道路元標って現存していると聞いていますから。

[写真ありません]

仁井田目長田の集落から, 北へ東へと。目標地点は楢山明田です。……あれ? そういえば, 仁井田から下北手にかけての奥羽本線って, 広大な農地の中を走っているんですけど, 踏切あったっけ……?

……危惧した通りでした。走って行った道, 線路に遮られてドン詰まり。しまった, 秋田市内とはいえ, この付近はR13やカナヨコ(PR41秋田昭和線, 通称横山金足線)以外の道をほとんど通った事がないんでした。和田より先は『どうせ解るだろ』と思って地形図持たなかったので, 細かな道は解りません……

[写真ありません]

仕方がないから戻るしかありません。線路を跨がずとも, 北へ向かう……道も解んないんだよ! 金照寺山にぶつかる筈だけど, そこまでまともに辿り着ける自信無し, それにもう暗いし! こうなったら, 国道に出て二ツ屋から旧国道, 牛島を通る羽州街道に復帰し, 解る道を通っちゃる。

……ってここで更にちょっと待て。本来なら踏切があって欲しかったこの道, 仁井田の集落内の道(しかも袋小路)にしては幅が広いし, ほぼ東西方向にまっすぐ向かっているし, 国道からの距離にしても……もしかしてこれ, 羽州街道なんじゃ……?

[写真ありません]

仁井田本町(この付近の旧地名は把握していません)まで戻ると道が右に折れ, そして明らかに新旧分岐を描いてR13に合流。ああっやっぱり羽州街道だった(^^;;; 期せずして秋田市南部の羽州街道をほぼ制覇する事になってしまいました。但し, 仁井田地内は明治以降の新道ですね。いつ切り替わったのか未確認ですが, 藩政期の街道は目長田の集落内を屈曲しながら走っていましたから。

何にせよ, 目論見通りにR13へ出た事で, 後は完全に勝手知ったる道です。二ツ屋から再度旧国道に入り, 牛島で羽越本線を跨ぎ, 楢山を経て刈穂橋前まで羽州街道。新川橋から楢山新町通り(築地と楢山の間)を経て, 袋小路踏切で再度羽越本線を渡り, 奥羽本線は地下道で潜り, 富士山西山麓の超細い道(その割に交通量あるんだここ)を通って, 当初の目的通り楢山明田に到達。後は本当に, 勝手知ったるどころか完全に私の縄張り内です。もう徒歩でもひょいと来られる距離なんですよ。

[写真: 秋田駅東口]
(19:10)

秋田駅東口, 到達! これで秋田県内の奥羽本線は, 院内駅から秋田駅まで……大張野駅を除く全駅経由したことになります。大張野駅は羽後境駅と和田駅の間にあるんですけど, 船沢の山を避けて大廻りしている影響で国道/街道と違う場所にあるんですよ。寄り道する余裕無かったんです。大曲-秋田間はいずれ再訪するぞっと。

[写真: 本拠地の夕食]
(19:51)

19:10, 本拠地到着。いやー四ツ小屋から30分くらいかと思ってたら, 1時間かかってしまいましたね。思ったより秋田市, 広いですわ。

ここまでの走行記録……走行時間: 8.11.19, 走行距離: 144.93km, 平均速度: 17.7km/h, 最高速度: 45.8km/h(神内坂(仮)), 総走行距離: 6,293.0km。

5日間の走行記録……走行時間: 39.20.05, 走行距離: 708.67km, 平均速度: 18.0km/h, 最高速度: 52.0km/h(白沢小学校橋下), 総走行距離: 6,293.0km。

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[地図: 横堀〜久保田]

5日目の全行程を繋げるとこうなります。最後まで御覧戴きありがとうございました。


水野夢絵 <mwe@ccsf.jp>
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