5日目その4 [六郷〜花館]

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走行日: 2009年8月5日(水)

[地図: 金沢〜花館]

去年, 新潟経由で秋田へ走った時は, 3日目の新潟市古町が一つのターニングポイントでした。即ち, 秋田から走った事のある最終到達地点です。そこに達したことで, 2001年の道と2008年の道が1つに繋がったのです。

対するに今年は, 5日目の午後になっていますが, まだ道は繋がっていません。かつて秋田からこの方向へ走ったのは, 1999年4月でした。そして当時の最終到達地点は……

執筆上の参考資料:

写真コメント
[写真: 六郷宿]
(13:21)

野荒町村, 天神堂村を普通に国道で抜けた後(待て, どちらも町村制施行前の村だ!), 六郷バイパスを避けて直進するのが旧国道=羽州街道です。その先は羽州街道第27の宿場・六郷宿となります。戦国時代には二階堂氏(六郷氏, 後の本城藩主)の本拠地であり, 江戸時代に入ると佐竹義重公がこの地を没するまで治めました。そして現代では, 名水の地として名が知られています。

同時に六郷は, 角館・阿仁を経て綴子へ向かう羽州上街道(大覚野街道)や, 角間川河港へ向かう角間川街道などの追分にもなっていました。角間川街道は後で通ります。

[写真: 美郷町役場六郷庁舎]
(13:24)

現在の自治体は美郷町。上町にある旧六郷町役場は六郷支庁となっていますけど, 町長室がここにあるので本庁扱いだそうです。役場機能集約の計画が進行していますが, 六郷庁舎は老朽化しており改築費用の捻出が厳しいため, 比較的新しい千畑支庁(旧千畑町役場)へ集約させる方針になっているとか。

[写真: 六郷駅御本陣趾]
(13:26)

民家が建っていますが, 本陣跡はしっかりと示されています。津軽氏は六郷を常宿として使い, 佐竹氏は主に休憩のみであったそうです。

[写真: ニテコ清水入口]
(13:28)

六郷湧水群の中でも一番の有名どころであるニテコ清水にやってきました。県内では, たとえ六郷湧水群を知らなくても, 『ニテコ』の名を聞いた事が無いという人はまず居ないのではないかと。

[写真: 明治天皇御膳水碑]
(13:28)

入口脇に『明治天皇御膳水』の碑が立てられています。自然水がそのまま生活用水だった当時, 既に名水として知られていたという事ですね。

[写真: ニテコ清水 1]
(13:29)

奥に立ち入ると, そこには荘厳に佇む小さな泉。これがニテコ清水です。湧水量が多いとかそういう事で有名なのではありませんから, 別段大規模に観光地化されたりはしていません。水源こそ保存されていますが, そこから湧き出した水は自由に使えます。真夏の町中に一筋の清水。明鏡止水, 和敬清寂……

[写真: ニテコ清水 2]
(13:32)
[写真: ニテコ清水 3]
(13:32)
[写真: 側清水]
(13:37)

実は街道沿いの清水は少なく, 多くは脇道に入った先にあったりするので, ニテコ清水以外に寄る事はありませんでした。六郷バイパスとの合流直前, 側清水(がわしみず)が傍にありましたけど。

[写真: 飯詰駅]
(13:46)

六郷バイパスで国道13号に合流……ではなく, 突っ切って角間川街道に入ります。その先3kmのところにあるのは, 奥羽本線の飯詰駅。街道・国道から離れている駅その2でした。旧飯詰村とはいえ, 飯詰駅は大字飯詰ではなく大字上深井にあって, そして後三年駅の方が大字飯詰にあるというこの不思議。いや設置時期が違うだけで, 不思議でも何でもありませんが。

[写真: 角間川街道]
(13:50)

来た道をそのまま辿って六郷に戻ります。角間川街道のこの区間は, こーんな「まっすぐGo!」な道なのですよ。幹線からは離れているにも関わらず, 制限50km/hと高速ですし。

[写真: 側清水交差点]
(13:56)

戻って来ました, 側清水交差点(六郷交差点)。手前が飯詰駅方面(角間川街道), 正面が羽州街道(側清水方面: 自動車進入禁止), 正面左が街道に代わる六郷市街入口, 右がR13六郷バイパス金沢方面, 左がR13羽州街道大曲方面となっております。

[写真: 六郷一里塚]
(13:57)

国道へ入ってすぐのところに六郷一里塚があります。国道に於いても目印と成り得るランドマークには……ならないんだろうなあ。立ち止まらないと解説も読めないしね。で, 道の両側に無いと, 自転車でも右側を読みに行くのは大変だという問題が(ここ渡るの大変だったんです)。

[写真: 六郷一里塚解説]
(13:58)
[写真: 大曲バイパス分岐]
(14:02)

国道に入って僅か1km, 大曲バイパスが分岐します。勿論, 正面の旧道へ行きますよ。

[写真: 角間川街道追分]
(14:13)

奥羽本線を跨線橋で跨ぎ, 更に進むと, 『追分』交差点があります。ここは角間川街道との追分です。六郷側からはさっきの上深井(飯詰駅)を経由する道がありましたが, 大曲側からはここで大保を経て角間川に向かうのです。

[写真: 大曲南大橋]
(14:20)

あ, あれ? また新旧道の分岐だ。これは地図に載ってない……? 取り敢えず旧道を行って間違い無いと思いますけど, どこで分岐してるんだろ。

後で調べたところ, 背後に見えている高架橋は大曲南大橋(国道105号大曲西道路)です。飯田ICとの接続に合わせて, 旧国道(秋田県道13号湯沢雄物川大曲線)に対するバイパスを大曲市道(大仙市になる前だった筈)として作ったようです……という訳で, 実は旧道の方が県道だったりして。

[写真: 大曲一里塚]
(14:32)

『笑ノ口』(えみのくち)というたかはし智秋さんの声が聞こえて来そうな集落(は?)付近から大曲市街地に入ります。勿論, 旧市街はもっと行ってからですが。旧市街は米町に, 大曲一里塚があります。道狭く住宅密集地なので, ちょっと風景に埋没気味。

[写真: 大曲宿]
(14:39)

やがて大町に到ります(写真は振り返り撮影)。羽州街道第28の宿場・大曲宿です。次の花館宿との合宿で, 半月交代でした。

[写真: 御本陣橋跡]
(14:37)

丸子川を渡る直前にちょっと横道へ入ると, 『御本陣橋跡』という標柱があります。名の通り大曲宿本陣の入口となっていた橋があったようです。現在も足元に堰が存在しているのですが, 暗渠化されているため『橋』という感じではありません。

[写真: 鞠水館跡]
(14:38)

そしてここが本陣跡。佐竹氏の常宿, というより専用の宿館で, 佐竹義重公が没した後に六郷城の御殿を移築したものだったそうです。明治に入り佐竹氏から譲り受けられ(委譲先は秋田県? 大曲村?), 鞠水館(きくすいかん)と名付けられて, 小学校・仙北郡役所・裁判所などとして利用されました。

昭和28年に県重要文化財に指定されたものの, 後年の増築部以外の老朽化が著しく, 昭和43年に文化財指定を解除し解体されました。現在は大仙市産業展示館となっており, 建物は鞠水館を模して造られています。

[写真: 大曲駅]
(14:42)

丸子川を渡ると通町で, 大曲駅があります。日本でただ1箇所, 『新幹線』を名乗る列車がスイッチバックする駅です(^m^) この駅舎のデザインは気に入っていますよ。

1999年, まだ秋田に居た頃, 自転車(当時は軽快車)で国道13号方面へ走った時の最終到達地点がここです。つまり, 10年越しで道が繋がりました! あの頃は国道しか通っていませんでしたから, 今回重視している旧街道とはあまり一致しませんけど, でも大体の感覚は判ります。この先難所と呼ぶべき場所が, 刈和野-境間と境-和田間にある, という事もね。軽快車では難所だったあの坂, ランドナーではどう感じられるでしょうか。楽しみ。

[写真: 三本杉神社]
(14:51)

佐野町にある三本杉神社。何でも, 津軽氏の参勤交代路にたまたま丸子川の増水があって渡し賃が割増しとなったところ, 江戸で津軽氏がそれを誇大に聞かされた佐竹氏が船頭達を全員処刑したところ, 以来津軽氏が渡船しようとする度に怪異が多発したため, 船頭達の祟りだとして創建されたのだとか。

今も境内に3本の杉が立っていますが, 当時の株ではないようです。

[写真: 花館村駅場跡]
(14:55)

国道105号と交差する付近から, 羽州街道第29の宿場・花館宿となります。……実は秋田県に入ってから, 本宿と間宿の区別が曖昧になってきているんです。資料でもあまり明確に区別されていないもので。例えばここ花館宿は大曲宿に近過ぎますし, 大曲宿と合宿していましたし, 本陣は大曲宿にある事が確認されていますし, もしかしたら間宿だったかもしれません。でも宿があったとも言うしなあ……(註: 間宿は正式な宿場ではないため, 宿泊施設の設置を禁じられていた)。

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水野夢絵 <mwe@ccsf.jp>
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