走行日: 2009年8月5日(水)
県南の穀倉地帯, 横手盆地。羽後町だけじゃありませんよ, 横手盆地全体が佳田なのです。雄物川水運も発達していましたし(そもそも『雄物川』という名前自体, 『御物』即ち年貢米を運んだ川の意), 街道も鉄道も今の国道も盆地の中を貫いて走っています。
そんな横手盆地の中心地は, 勿論横手。初代佐竹義宣公が久保田に本城を定める際, 父の義重公が別に推挙した地でもあります。実は市街地は初めてなんだよね, どんな街かな。
執筆上の参考資料:
写真 | コメント |
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(07:13) |
岩崎の突き当たりに岩崎八幡神社があります。境内を含む一体は千年公園(ちとせこうえん)と言い, 岩崎藩(久保田藩支藩)の陣屋があった場所です。久保田新田藩時代は特定の領地が無く, 8代佐竹義諶が河辺椿台に陣屋を築いて初めて領地支配し, 9代佐竹義理が明治2年(版籍奉還後)に岩崎へ陣屋を移してやっと岩崎藩と称しました。そのため廃藩置県時には岩崎県となりましたが, 周囲を全部秋田県に取り囲まれた小県ですので, 2年で秋田県に編入され消滅しました。 |
(07:14) |
羽州街道第24の宿場・岩崎宿です。皆瀬川の船渡しを控えた地であると同時に, 脇道である沼館街道(浅舞・沼館・角間川を経て大曲へ)の追分でもあります。そういった交通の要所であることから久保田藩直轄の郡奉行が置かれたのですが, これは湯沢の佐竹南家の支配力低下に直結するため, 宗家と南家の間で軋轢を生じる原因にもなったとか。 横堀でジュース2本飲んでから出発したのですが, 糖分が不足気味なので, ここで補給しました。高順商店前の自販機で夕張メロンミルク1本。 |
(07:19) |
岩崎橋(昭和10年架橋)で皆瀬川を渡ります。 |
(07:20) |
皆瀬川下流方向。すぐ先で雄物川に合流します。奥に写っているのは現R13の新岩崎橋(昭和53年架橋)であり, また皆瀬橋と新岩崎橋の間にかつての船渡し場があったらしいです。 |
(07:20) |
皆瀬川上流方向。奥に見えるのは奥羽本線です。そしてこの方向には, 明治新道の橋(明治10年架橋)の橋脚跡も残っているらしいのですが, 気付きませんでした。 ところで, 4kmほど上流の増田で, 二次支流となる成瀬川が合流しています。ラブひなの人は実は秋田に由来があったのです(^^) いや実際, 「成瀬川 -ラブひな」で検索すると, こっちの川の他は力士の成瀬川土左衛門しか出ませんもん。「皆瀬川みな」って居ても良いと思うんだけど。それと「ちな」と「ひな」も(それ別作品) |
(07:26) |
皆瀬川は雄勝郡と平鹿郡の境になっています。平成の大合併で平鹿郡は消滅したので, 現在は横手市ですけどね。旧自治体名では十文字町です。 秋田のコンビニといえばヤマザキですねっ。やっと沿道に店舗を見付けたので, ここで朝御飯にします(これ可愛いと思ったもので)。08:00, 再出発。 ここまでの走行記録……走行時間: 1.24.51, 走行距離: 23.92km, 平均速度: 16.9km/h, 最高速度: 32.1km/h(不明), 総走行距離: 6,172.0km。 |
(08:03) |
十文字町の名の由来である増田十文字, 即ち羽州街道と増田街道の辻にやって来ました。十文字駅への停車場線があるため明治38年以降は五叉路なのですが, 今地図を見てもばっちり道が十字に交わっています。 |
(08:04) |
十文字の右側を見たならば, 右側に延びるのが増田街道増田方面, 左に分けているのが十文字停車場線です。その間に立っているのは, 猩々碑道標跡。1811年(文化8年)に増田通覚寺の住職が道標とするべく刻んだ猩々碑の跡地です。十文字町幸福会館に展示されているそうです。 |
(08:07) |
十文字駅です。鉄道に於いては分節点になっておらず, かつての特急停車駅という訳でもありませんが, 比較的乗降客数を保っています。 |
(08:09) |
再び増田十文字へ戻って……おお! これは十文字町の道路元標ではありませんか! |
(08:16) |
梨木羽場の梨木公園。 |
(08:17) |
梨木公園のすぐ先(というか隣)に愛宕神社があります。沿道にぽつぽつと見える四角い石は『休石』で, 風化が進んでいますが江戸時代からそのまま残っているものです。 ところで, 増田十文字のすぐ脇のバイパス沿いに道の駅十文字があったと, 執筆している今気付きました。地形図にはまだ掲載されていないのよ〜。知ってたら行ったのに……。 |
(08:22) |
梨ノ木三叉路で国道13号に合流し, 旧平鹿町に入ります。700mほど先に明治天皇御小休所碑がありました。本当, 明治天皇の痕跡ってあちこちにあるなあ。移動が楽になった現代の今上天皇より行動範囲広いんじゃないかと勘違いしそうになります(そんな訳無い)。 |
(08:27) |
旧平鹿町唯一の鉄道駅, 醍醐駅です(あ, 横荘線の樋ノ口駅・東浅舞駅・浅舞駅があるか)。こんなちっちゃい駅舎だったのね。 今, 横荘線の廃線跡と思われる線を地形図上で辿っていたら, 羽後大森駅以降の跡と思われる道が凄く気になる線形を描いている事に気付きました。い……行ってみたい…… |
(08:32) |
何だと思われるかもしれませんが, 金屋の踏切跡です。R13は少し北側を跨線橋で越えています。踏切が残っていれば街道を辿りたかったけど, 駄目みたい。 仕方が無いから跨線橋に回るのですが, 道の右側を通る羽目になったので歩道をゆっくり走ります。狭い歩道の上, 前に軽快車の兄ちゃん(学生さん?)が居たから, ますますスピード上がりません。ま, 周囲を眺めたりしながらゆっくり行きましょう。急ぐ必要はありません。 |
(08:46) |
金屋を境として旧横手市になります。まずは持田で街道からちょっと外れ, 栄神社の脇の坂を下ると柳田駅。持田は宿場でこそありませんが, 佐竹公の小休所があった集落です。 今日は朝から天気が思わしくなかったのですが(写真もずっと曇ってますよね), この付近でようやく陽が出てきたため, 出発後3時間半にしてそろそろアームカバーを装着しました。ついでに駅前自販機で水を購入。 |
(09:02) |
横手JCT脇で秋田自動車道を潜ったら, すぐそこに美砂古(みさご)交差点があります。左折方向は横手ICへのショートカット路になっています。この角の家の敷地内に, 美砂古の清水が現存しているそうです。 |
(09:03) |
家の中を写す訳にもいかないので, 道からも見える芙蓉の花を。何度も書きますが, 私は芙蓉が一番好きな花です。楓も(もう良いって!) |
(09:04) | |
(09:09) |
国道107号(平和街道)との辻である安田交差点。但しR13はR107と重複してここを左折し, 奥羽本線を安田跨線橋で跨いでから, 婦気(ふけ)交差点で横手バイパスに入る路線が指定されています。正面が旧国道で, 羽州街道です。 この交差点, 自動車では何度も通ってるけど, 当時既に横手バイパスが走っていたから, 横手市街地へ行くのは今回が初めてです。へば早速。 |
(09:15) |
面白い感じで道が狭いですね。横手バイパスがいつ開通したのかは知らないけど, 実はかなり昔からあるのかな。流石に今みたいな拡幅されたのは, 秋田自動車道横手IC開通に合わせての事でしょうけど(註: 横手バイパスは6車線道路)。 そうこうしているうちに, 踏切と出会いました。はい, 架線がありませんね。横黒線……もとい北上線です。 |
(09:22) |
横手駅に到着しました。勿論, かつての特急停車駅です。今は路線自体が普通列車しか走らない……のですが, ここはちょっと違います。奥羽本線の新庄以南と田沢湖線が標準軌に改軌されたことと, 東北本線の盛岡-八戸間が三セク落ちした影響で, 北海道と仙台・関東方面を結ぶ長距離貨物列車がそれらの区間を通らなくなり, 代わりに北上線を経由するようになっているのです。従って旅客はともかく貨物で重要な駅であるというのが, 湯沢と横手の違いです。但し現在貨物列車は運転停車しかせず, オフレールステーションになっていますけど。 それにしても, 真夏でもかまくらを全面に押し出しますか(^^;;; 流石, 横手豪雪パンチ。 |
(09:27) |
羽州街道第25の宿場・横手宿です。横手は一国一城令の例外として残された横手城の城下町で, 佐竹氏一族の戸村氏(6000石)が所預として支配していました。 この付近は外町(町人町)でも南端にあたる鍛冶町で, 本陣は少し先の四日町にあったそうです。蛇ノ崎橋で横手川を渡ると内町(侍町)になります。 |
(09:43) |
市街地を抜け, 旧々道を辿って閑散とした道を進むと……ナニコノサカ。睦成字鶴巻・字鶴谷地の付近なんですが, 距離は短いもののかなりの急勾配。上山の花立坂みたい。 |
(09:51) |
鶴谷地から横手高校裏手の道を通り, 杉目字七日市付近で国道に合流します。本来の街道は安本入口付近までまっすぐ延びていたらしいのですが, その道は現存しません。私ではとても辿れませんので, オブローダーの方にお任せします(いや, 市街地だから, オブローダーの方でも辿れないんじゃ?)。 |