5日目その1 [横堀〜湯沢]

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走行日: 2009年8月5日(水)

[地図: 横堀〜下湯沢]

去年に続き予定を越えて5日目となってしまいましたが, 残る距離は100kmちょいですから, 今日こそは間違いなく秋田市に辿り着く事になります。もう峠越えも無いし, 自動車ではいくらでも行き来した土地だし, 大曲まで行けば自転車ですら来た事ある道になるし, 余裕こいていられる……ではなく, 本当に余裕なのですよ。さあ, 巡りたい場所は沢山あるぞっと。

執筆上の参考資料:

写真コメント
[写真: 小町堂]
(05:31)

羽州街道へ戻る前にちょっと寄り道。国道と街道の間にある道(旧国道か?)の先に, 小野小町縁の地である小町堂・芍薬塚があります。

[写真: 芍薬塚]
(05:33)
[写真: 謎の旧型客車]
(05:34)

この脇に, 何故かDLと旧型客車が置かれているんですよ。何これ? 羽後交通雄勝線……じゃないよね?

[写真: 熊野神社]
(05:37)

街道に戻って北上すると, 奥羽本線を渡った先に, こちらも小野小町の遺跡と称されている熊野神社があります。

[写真: AKAGAWA SUTOA]
(05:39)

……こ, KOBARUTO RAINに匹敵する物を発見……(^^;;;

[写真: 広野寺]
(05:40)

野中山広野寺, 小野小町の菩提寺にして秋田六郡三十三観音の札所……と案内があります。横堀駅付近(正確には旧雄勝郡小野村)はひたすら小野小町で町興し……できてるのかなあ? 何しろ早朝なので, 賑わうのかどうなのかさっぱり想像できません。

[写真: 秋田103km]
(05:43)

国道に合流すると本日最初の距離標識がありました。秋田まで103km, 楽勝で1日分の距離です。観光する余裕も充分です。

[写真: 東鳥海山?]
(05:46)

これが東鳥海山かなあ? 霊峰鳥海に詣でる事のできない雄勝の民が, 地元の主峰を鳥海山に準えて信仰したという山。

[写真: 須川交差点]
(05:49)

郵便局が目印の須川交差点。『羽州街道をゆく』によると右の道は小安街道なのですが, 今日一般に小安街道と言えばこの後で通る十文字から増田・川連・稲庭を通って奥州街道築館宿に到る街道です。この道が須川から小安に向かうのは確かなので, 江戸時代までの街道命名規則(行き先の名を冠する)によれば『小安街道』で間違いないのでしょうけどね。

[写真: 上関]
(05:57)

酒蒔橋の先で国道を離れ, 上関の小路に入ります。

[写真: 三関駅]
(05:59)

ここに三関駅があります。上関, 下関, 関口の三集落を合わせて三関と言うのです。

[写真: 石尊山神社]
(06:08)

三関の付近は雄物川の氾濫原であるため, 集落や街道が水害に遭う事が多く, 平地を通る事もあれば山際を走る事もありました。治水が進んだため現在の国道13号はほぼ川沿いを走っていますが, 対する旧街道は上関の先で奥羽本線を跨ぎ湯沢横手道路を潜り, 河岸段丘を登って山際へ移動します。

山際でぶつかる道はより古い時代の街道でもあり, ここより手前(写真右方向)にも板碑などが立ち並んでいるということです。正面には石尊山神社, これもまた道なり村なりを守る信仰の場だったのでしょう。

[写真: 下関]
(06:11)

そんな山際にあるのが下関集落。地図から判断するに二段階のバイパス建設を経ているようで, 旧々道は程良く街道の面影を残しています。

[写真: 上湯沢駅]
(06:21)

三関の最後となる関口集落は, 湯沢の市街地が拡大したため地図上では飲み込まれそうなくらいに近接したところになっています。駅も『上湯沢駅』ですし。それにこの駅が開業した事自体, 昭和31年と近年ですしね(註: 三関駅は昭和5年に信号場より昇格開業)。

それがさー, この駅探すの凄く苦労したんですよ。一昨日の北上ノ山駅(茂吉記念館前駅)みたいに, どこの小路を入れば駅があるのかさっぱりで。田圃の脇になんか公民館みたいな施設があったから寄ってみたら地図があって, それでどうにか現在位置を把握した, とかそんな感じ。

[写真: 御機嫌坂上?]
(06:27)

関口集落は河岸段丘の上と下に分かれており, 古い上の道を通っていても最後には降りる事になります。その下り坂は, 今は往時を感じにくいのですが, このような故事が伝えられています。

久保田藩の初代藩主・佐竹義宣公が常陸水戸より出羽秋田へ移封され, 初めて秋田入りした際のこと。未知の地への不安と長い山越えですっかり暗澹たる気分になっていた義宣公だが, 関口で眼下に雄大な美田が広がる様を目にし, 湯沢に入る頃にはすっかり機嫌を直したという。以来この坂を『御機嫌坂』と呼ぶ。

石柱の後ろに広がる空き地が公園って訳じゃなくて, 奥の神社が公園なんですよね!?(^^;;;

[写真: 御機嫌坂記念公園]
(06:29)
[写真: 関口]
(06:30)

坂の上で撮影し損ねましたが, こちらは坂の下の関口集落。この先で500mほど国道に合流します。

[写真: 湯沢宿]
(06:34)

再度国道から離れると(旧道分岐点付近に吹張一里塚があったらしいのですが, 見過ごしてしまいました), 羽州街道第23の宿場・湯沢宿に入ります。佐竹南家所預の要地で, 宿場町としての性格, 城下町としての性格, また院内銀山町を支える生産地としての性格も兼ね備えた町であったという事です。

今日(8月5日)から七夕絵どうろう祭りが行われるため, 市街地はきらびやかに飾られています。

[写真: 安乗寺]
(06:39)

湯沢市中心部に近付きます。まず安乗寺があり……

[写真: くらた湯沢店]
(06:40)

県民にはお馴染み, お菓子の『くらた』湯沢店が安乗寺の隣にあります。県内各所+東京に支店を持つ大店ですが, その始まりがここ湯沢店であり, 創業は1853年(嘉永6年)!

[写真: 大丸呉服店]
(06:40)

……45ACP先輩のところで以前紹介されてたから知ってたけどさ, まさか街道沿いにあるとは思わなかったよ!(^^;;; 痛呉服こと, 大丸呉服店。この壁画, 遅くとも2006年には既に存在していたようです(→ らくがき帳・番外編 (2006年8月7日・絵どうろうまつり編))。

45ACP先輩から聞いたところによると, この店の息子さんがいわゆる同志の人なんだそうで。まあ例えば歴史ある大店であっても, そこの末裔にそういう人が出るのはおかしい事ではありませんけど, 家業でやるかって気はしますね(^^;;; 3年以上持続しているんだから, 少なくとも失敗はしていないと思って良いんでしょうか。

[写真: ヤマツ大友]
(06:41)

湯沢の呉服店と言えばもう1つ(ってここ来るまで知らなかったんだけど), ヤマツ大友。……解る人だけ笑って下さい。

[写真: ヤマツ大友ビル]
(06:48)
[写真: 湯沢駅]
(06:44)

湯沢駅に到着。かつては県南の特急停車駅だったここも, 今では特急も貨物列車も通過すらしなくなり, 凋落著しい事限りありません。山形新幹線直通特急・秋田新幹線直通特急(← 回りくどいってば)の開通によって山形県村山最上地方と秋田県秋田市・仙北地方は潤ったけど, 丁度挟まれた平鹿雄勝地方は鉄道的には完全にワリ食ってるんですよね……。

山形新幹線直通特急(← だーかーらー)の大曲延伸を窮乏する看板などを湯沢横手で良く見掛けましたが, 採算取れないからJRはやりたがらないだろうし, もしやったとしても速達性に問題があるから秋田から山形経由で東京へ行く便は設定されないだろうし, あるとしたら秋田-山形の『標準軌在来線特急』が2時間に1往復(うち2本に1本は福島まで)ってところでしょうか。すると新庄-東京便が一部転換されるだろうから, 最上の利用者を敵にしてしまいそう。

[写真: 鉦打沢川 R398西馬音内方面]
(06:51)

鉦打沢川(かねうちさわかわ)を前森橋で越えるところで, 国道398号とも交差します。西へ行くと西馬音内(羽後町)方面, 東へ行くと川連・稲庭を経て小安方面です。

[写真: 鉦打沢川 R398川連方面]
(06:51)
[写真: 下湯沢駅]
(07:05)

市街地を抜けて国道13号に合流し, 次なる岩崎宿もほど近い成沢まで来ると, 下湯沢駅があります。これで湯沢四駅(上湯沢, 湯沢, 下湯沢, 越後湯沢(おい))を制覇完了です。

[写真: 下湯沢駅前の秋桜 1]
(07:06)

下湯沢駅前に咲いていた秋桜です。もう秋なんですね!?

[写真: 下湯沢駅前の秋桜 2]
(07:06)
[写真: 701系0番台N37編成]
(07:08)

国道は跨線橋になっている関係で羽州街道を辿りませんので, 一旦離れて踏切を越えます……丁度, 701系秋田色がやってきました。今見るとN37編成……ということはセミクロスシート化改造車?

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水野夢絵 <mwe@ccsf.jp>
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