(15:56) |
福島以来のR13と交差したばかりですが, 今度は桑折以来の鉄道……いや, ただの鉄道じゃない。この旅で初めてとなる『奥羽本線』との遭遇を果たしました。……地下道が工事中で進めない, という出会い方でしたが。仕方がないので少し迂回して, 陸橋を渡ります。……おーい山形県, 『七ヶ宿』を『しちがしゅく』って読んでるぞー。『しちかしゅく』だぞー。
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(16:00) |
奥羽本線を跨ぎ, 元の小路の延長に戻って来ました。まだまだ羽州街道を辿り続けます。ここは南町……城下町に含まれるでしょうか? 近年の住居表示って気がします。
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(16:03) |
前川を跨ぐ矢来橋。この橋の前後で羽州街道は屈曲しており, ここが上山城下の桝形であった事が判ります。ということでここから先が, 羽州街道第10の宿場・上山宿ということになります。いや, 街中の写真をあまり撮らなかったもので……
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(16:08) |
また通り過ぎてしまい振り返り撮影なのですが, 十日町にあった上山宿本陣跡は現在島津酒店となっています。旅館もあるなあ……本陣は厳密な意味では旅館とは呼べない施設なのですが。
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(16:11) |
四ツ谷の桝形を過ぎた少し先で, 線路沿いに進む道から分かれて左折すると, こんな坂道になっています。これが四ツ谷街道と呼ばれた羽州街道です。
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(16:14) |
坂を上り詰めると, 上山バイパスに対する旧国道13号と交差します。羽州街道は正面の細い道(国道458号)なのですが, ちょっとここで寄り道。右折します。
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(16:16) |
実は須川の河岸段丘なので, さっき登った分をまた下ります。……あれ, この道, 国道13号指定解除されたんだ。山形県道51号山形上山線になってますね。
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(16:36) |
何で寄り道しているかというと, 奥羽本線沿線に来ましたから, 駅巡りを再開しようと計画していたためでして。という訳で, 北上ノ山駅です。……いつの駅名だよ, 現在は『茂吉記念館前』駅。
……それがさー, ここ来るのとっても大変だったのよー。地形図だと駅西側は文字で潰れていて道があるかどうか判らなかったものだから, 東側(確実に道が繋がっている)から行こうとしたんだけど, 駅入口の案内が全く無くてさー。住宅と寺と田圃が連なるような場所で, どこの1間(幅1.8m)道を入れば駅なのか判らなくて, 手前の道を何度も往復して, ここかと思って入った砂利道が見事正解って具合。暑いし弁天橋は急勾配だし立ち話しているおばちゃんに変な目で見られるし, 散々でしたよ。
……それどころじゃない! 肝腎の上ノ山駅に寄ってないじゃないの! 何をすっ飛ばしてんですか!? さっきの四ツ谷交差点までは元々戻るつもりだったけど, それ以上に戻らなくちゃ!
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(17:00) |
手前の上山郵便局で貯金を下ろしてたので余分に時間かかってます。究極バカが恥を忍んで戻って来ました, 上ノ山駅。……それも古いな, 『かみのやま温泉』駅です。何でも『温泉』を付けりゃ良いってものじゃないでしょうに。上山そのものの地名ブランドを侮辱しているような気がするんですよ。
さっき通り過ぎてしまった時も気になっていましたが, 町中で花笠音頭が鳴り響いていました。市内放送でも運営連絡や観光客向けの放送が流れていたし。花笠と言えば山形市のイメージがありますが, 上山の夏祭りもそうなんでしょうか。
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(17:09) |
また羽州街道を辿り直し, 四ツ谷交差点に来ました。さっきは右折しましたけど, 今度こそ羽州街道に従い, 直進します。
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(17:12) |
四ツ谷街道の続きということになります。道が狭いかと思いましたが, 途中からまた広くなりました。ただ, 結構な登り坂ですね。
良く見ると国道458号のおにぎりが立っています。一車線の区間は短いけど, さりげなく酷道っぷりを発揮しております。
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(17:14) |
左へ行くと朝日台の新興団地, 右へ行くと旧上山競馬場, という交差点です。どちらも市道なので番号・名称は不明ですし, 交差点の名前も判りません。が, 正面の羽州街道(R458)のこの先が, 『花立坂』という名で呼ばれていた事を知っています。わざわざ名前で呼ばれていたような坂道, 『峠』ではないけど, 一体どういう坂なのか……新興団地のすぐ脇だから崩されているかもしれませんね。
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(17:16) |
崩されてねええええ!! 何ですかこの坂は, 傾斜角だけなら小坂峠福島側より酷いですよ!? 本日最大の難所はここだ, 絶対!
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(17:17)
上山市北部の風景が良く見渡せます。中央の山は, 麓に谷間へ食い込んだ町(仙石)があることからして, 葉山(687.4m)ですね。そのちょっと右側で尖っている山は三吉山(560m)。左側視界外は, もう山形市の筈です。いやあ, 登った甲斐があっ……まだ登り切ってません!
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(17:21) |
や, やっと登り切った……。いや, 勾配は緩和されたけど, まだ終わりじゃありません。これだけの登り坂となれば, ここが『花立坂』というだけでなく『花立峠』だとする一部資料の記述に信憑性が出て来ます。ならば, もっと明確な鞍部がある筈。
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(17:22) |
右折した先にあるピーク, これが花立峠だと思って良いでしょうかね。この付近の本道は花立坂ではなく朝日台団地の入口になっているでしょうから, 国道遷移から暫く経ってようやくスポットライトが当たったとしても, 峠道だという認識が既に薄れているという可能性はあります。
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(17:23) |
地形図によると, 直進する細い羽州街道に対し, 現道は左折して久保手集落方面へ向かうことになっています。でもそんな線形の道が, 脇道に堕ちた直進路を直進路のまま残している筈ありませんね。直角交差点に付け換えられていました。右折して, 直進。
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(17:25) |
……って, いきなり工事中につき通行止なんですが。指示に従い右側へ迂回。うーん, この先に藩境の石地蔵があった筈なんだけどなあ。
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(17:26) |
迂回路に入った直後, 総走行距離が6,000.0kmに達しました。万歳三唱ー, にゃはりかにゃはたらりーの, にゃー ← まだ言うかこのネタ。
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(17:35) |
緊急事態発生! 迂回路から本来の道に戻ったところ, その先に道がありません! 『本来の道』という認識がそもそも間違っていた, というのでない限り, これは山形ニュータウン建設に伴い旧羽州街道が破壊されたという事を意味します。道路表示の痕跡からして, 正面に道が続いていた事は確実なのですが, 完全に地形改変されていて, 無理矢理進む事も不可能です……
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(17:27) |
これは『手元の地図が全く役に立たなくなる』という意味でもあります。ただでさえこの先の区間は1本線道路記号(幅員1.5〜3.0m)で描かれていた細道, 並行路線なんてほとんど無いんです。大幅に大回りする事になりますが, その『大回りする』別路線すら存在するかどうか保証がありません。
周辺を右往左往して, 造成中の道路(写真)を暫く走ったりもしましたが, どこに抜けるやらさっぱりです。工事途中の現場に行き着いて結局戻るしかなかったり。あーうー, 次の目的地は黒沢神明社なんですが, どうやったら行けるの!?
どうしようもないので, 大幅を超える大幅に大回りを覚悟。現役で生活道路になっているらしい(住民らしき自動車が通っていた)道を進みました。最悪でも小松原集落経由で山形市街地には出られる筈……
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(17:47) |
結局, 以前からある集落とニュータウンとが融合しているようで, 道は不明瞭なのでした。「みはらしの丘小学校」という妙な名前の小学校前を通り, あっちこっち走ったところで, 神社っぽいものを見掛けてそちらへ向かったところ……周囲は公園になっていました。そして案内地図を見たら『神明神社』。これは, と言う訳で公園を通り抜けそちらへ直行。
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(17:49) |
やっと到着, 黒沢神明社。花立坂が肉体的に今日最大の難所だったとすれば, ここは精神的に今日最悪の難所でした。うう, 秋田市の御所野ニュータウンもそうなんだけど, 旧街道を完全に破壊する都市開発は本当にやめて欲しいです……
『羽州街道をゆく』によると, 黒沢神明社には文政12年(1829年)の石鳥居があるという事なのですが……少なくとも表から見える鳥居は真新しいですね。『山形ニュータウン開発に伴い……社殿及び鳥居, 狛犬, 社務所等施設の全面的新営を行った』では昔のものは残っていないという事? ま, まさかね……
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(17:49) |
(17:54) |
ここまでの街道は破壊されていましたが, ここから先は再び羽州街道で間違いないようです。しかも解説によると『花立峠』は正式にそう呼ばれていたと判断できます。本日, 3つ目の峠を越えていたのでした。
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(17:55) |
(17:55) |
それでは, 街道を下ります。すぐ目の前を横切っている車道は, 実は北上ノ山駅へ行く時に通ったPR51だったりします。
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