死して償う
人は死亡しても罪人だろうか?
仏の教えでは、「まして、悪人に於いておや」の記述のとおり、悪人でも悔い改めれば救われる。
即ち、善人も悪人も仏教の世界では存在しない。
次の世に、如何なる形で生まれ変わるかだけが問題となっている。
・・・と思う・・・・
靖国神社に祀られている人も、各々の形で国に殉じた人である。
そもそも、戦犯と言う概念は戦勝国側の理屈であって、国際法に照らしてみれば単なる報復殺人に他ならない。
甘んじて、戦犯の名をつけられた人も、後の国を憂いて旅立ったのであり、何等恥じる事も責められる事も無い。
戦争を起こした罪を問われるならば、日本国民総てが国家総動員令の元、戦争に参加し、従軍し、弾薬を作っている。
責任を回避できる人はいない事になる。
現在のイラクに対してはブッシュ大統領が戦犯として裁かれるべき立場となり、中国においては毛沢東は国民を扇動してゲリラ戦を開始し、国家転覆を行った重罪人となる。
死者に鞭打つ以前に、自らの国が如何なる所業の結果生まれ、現在如何なる犯罪行為をしているか、省みる必要がある国が多く存在する。 そんな国の口車に乗って靖国問題を語る事は自らの無知と無責任な人生観を披瀝しているに過ぎない。
どの国にも付ける薬の無い人は存在するが、自らの国の行為を否定するお人よしは日本にしか存在しない。
Fnews-brouse 1.9(20180406) -- by Mizuno, MWE <mwe@ccsf.jp>
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