古寺@carsの方だけ記事が読めてるようで繋がりが分かりませんが...
Subject:を変えておきます。

(10/10/04 16:11), kuno@gssm.otsuka.tsukuba.ac.jp wrote:

> hag03216@gmail.comさんは書きました。
>> え?「0803」とかって製造時からの付番ですよ。田園都市線運用から
>> 大井町線運用に転ずる際の短編成化で改番したわけじゃないんです。
>> 最終増備車だから、1990年とか1991年に出てきたときから、ですよ。
>> その当時は8000の方も付番が大変で、確か軽量ステンレス鋼体試作車
>> は2回くらい重複を避けて改番させられているし、8090や8590なんかも
>> 番号が足りなくなって80番台まで食い込んでたりしますよね。
> 
>    そうだったんだ…よく分かっていませんでした。製造当時は空いてい
> なかったのですね。謎が分かったというか。
> 
>          昔からあったのに私が見つけなかっただけなのね ^_^;   久野

8500は当初、8M2Tの10連が中央林間開業時点で30本所要とされてま
した。設定可能な運転間隔から逆算して30本は越せないので、番号
は収まる...とされてたように記憶しています。
奇数M、偶数Mとも編成中4両、内1両が先頭車で残り3両なので、
8700も8800も90までしか行かないはず(91からは他で使える)だった
のですね。
実際の所、先頭車は30本分作成したところで一区切り付けたため、
31本目からの軽量ステンレス(量産タイプ)の構造になっているのと
形態がスッパリ分かれてます。
1980年代中期...学生の頃には田園都市線は沿線が自社開発なので、
沿線計画人口の精度が高いということをどこぞで聞いた記憶が有り
ます。読み物かもしれませんが...

のち東急以外の開発者によっても容積比の高いマンション開発が
進んだりとか、あと、横浜市営地下鉄のあざみ野結節で、港北
ニュータウン→東京方面の主要ルートになるのを読み切っていた
のかなど、上積み要素が有ったのでしょう。

#同時期、京急は沿線の地形的に人口が飽和するのはおおよそ見
#えてるとか言われてて、実際B特廃止など朝の減量が行われた
#時には、実際なったなぁと思いました。不況とか新都心から遠
#いなどの要因も有りそうですけど。

バブル期の中期ぐらいですかえね...に新ATCで最短運転間隔を詰め
る関係で車両の所要本数が増ることとなり、これで当初計画時に見
込んでいた付番は溢れることになったと。
新ATCで列車を増やせたはいいが、渋谷駅の容量構造をどうこう出
来るわけでもなく、これが後々尾を引きますね。間隔を詰めると、
利用者自体の増加も有りますし、乗降に時間が掛かっての後続団
子→全体遅延の現象が余計起きやすくなります。
半蔵門線が三越前まで達していたから、利用者の直通比率が上がっ
てくれればというのは有ったでしょうね。ところがこの時期から、
新宿の副都心→新都心化が進み、東京圏全体で通勤の流れがより
新宿を向き始めたと言います。間の悪い事に。
で、山手線乗換え需要で渋谷の乗降人数も伸びこそすれど減りはし
ないと。
至る(5000系の)6扉車導入...

準急導入の頃、渋谷駅の設計が全国放送のTVでまであれやこれや言
われてるのを見ました。利用者数が、8500が30本越さないという計
画どおりなら、そうはならなかったんでしょうに。
審議会答申では、港北ニュータウンの東京方面ルートは、ずーっと
経由地保留、事業者未定のまま6号線延伸だと唱えてましたし、田
園都市線の計画性だけの問題じゃないと思うのですけどね。
結局、需要増に対して後手を踏む東京の鉄道〜の一例に加えられて
しまってるなと。