人間が人間を裁くという現実から、人間として、逃げてはならない。
 刑事裁判の吟味も、人間として、訴訟に拠るべし。
 そして、その陪審制度の採用も、ローマの昔から、民主制のスタンダード。
 相変わらず、職業裁判官の御白州では、如何せん、野蛮。
 そもそも、日本の訴訟制度は、200年ほど、時代遅れ。
 因循の司法制度にも、やっと、文明開化の波。

"村上新八" <shinpa@cronos.ocn.ne.jp> wrote in message 
news:f33hkf$3es$1@news-est.ocn.ad.jp...
>  市民が刑事裁判に参加する裁判員制度は来年3月には実施時期が決められるという。その規則案が最高裁に 答申された。
>  裁判員は抽選で決められ、法廷に出て、裁判官とともに刑事被告人の罪を有無を決め、刑罰を下す一員となるのだが、これにどんな意味があるのだろうか。
>  素人が一生のうちに、は初めてで終わりになる一回だけの裁判に出て、プロの裁判官、検察官、弁護士に混じって一体何がやれるのだろうか。判事の言うままについてゆくだけになるのがオチであろう。
>  刑事事件の裁判に、被害者や被害者家族で参加を希望する者に、判決以外の過程で参加させるのは意味があるが、素人が参加しても意味はないと思う。全く有害無益である。
>  村上新八