古寺です。

ABE Keisuke さんwrote:

> In article <868xiaih17.fsf@flora-gw.tkn.funabashi.chiba.jp>,
>  Tsutomu KIMURA <yukikaze@tkn.funabashi.chiba.jp> wrote:
>>   この準備のため、京成津田沼駅の5番線ホーム上に列車種別番号
>> 対応表(正式に何と呼ぶのかわかりません。列車の種別と対応する

列選... なんだっけ。列車種別選別装置(列選)の何かで有る事は確
かなのですけど、正式な呼び名というと、会社による言い方も有り
ますし、どうなのでしょうね。同じ1号線で互換の有るシステムを
採っているはずの京急の場合、「列選確認灯」というと、駅の手前
で点滅したり点灯したりしてるのになりますし... 出発信号機のは
なんだったか(そっちでの言い方も忘れた)。
京急の方だと「快」とか、文字で出ていたように思います。

> 私も一昨日見ました。種別の対応表は、古い物を再利用して
> いるんでしょうか。

京成の場合、1980年代に掛けて番号が何度かリサイクルされていて、
描き直したり塗りつぶした跡が面白かったりしたのですけど、今で
もそんな感じなのでしょうか?

#数年前のスレッドで書きましたが、自分が把握してたのは1980年
#代後半の通勤特急再登場(日中より速達で、意味合いが昔と異なる)
#くらいまでで。これの停車パターンが変わったのを知りませんで
#したし。母方の実家が沿線を引き払ってからの印象は薄いんで。

で、子供心に「あーあ」と思ったのは、1970年代真ん中頃だったか、
種別の大幅整理が有った頃です。(以下アレな記憶)急行と、押上系
統の○に急の停車駅を統合した上に、「通勤xx」で停車していた駅
も全て停める方向で統一して。特急が小岩に停まったり、急行が確
かこの時から谷津遊園(当時)から成田まで各停になったり(○急が
津田沼から各停なものの大抵は佐倉どまりで実害(?)が小さかった
所、上野〜成田系統まで巻き込まれて「通勤」統一で谷津遊園もっ
て事じゃなかったかと思いましたが、合ってますかね?)。
んで、本題に戻ると、この際に番号と種別の対照表な板が、ガック
リスカスカになりました。
準急、快速はもっと以前の廃止だったかもしれませんが(上野〜千葉
のもっぱら青電充当の快速は1974年には間違いなく有ったので、同時
廃止かな?)、最盛期は普通、快速、準急、通勤急行、急行、通勤特急、
特急、開運の、少なくとも8種別が有り、これに対応していました。
○に急行の津田沼以遠をどう制御していたか忘れちゃったのですが、
別種別だったか、津田沼から列選的には格落ちさせていたのか。

#一種別板中心の時代ですし、終点まで○急は出しっぱなしでした。

これが種別整理で半減くらいになって、スッカスカとなったわけで
すね。当時、小学生の耳にも、成田開港遅れなどで経営がどうのと
聞こえて来たころでしたから(広告シールをベタベタとか始めたり)、
凋落するってこういうものかなぁと、*勝手な思い込みで*暗うつと
したもんです(^^;
その後、押上線都心方面への新しい通特(以前と逆に通過が増えた)
が出来た際に、空き番号が埋まる機会が有ったように思います。
この辺も、記憶が怪しいです。

> 10月25日には、いよいよ船橋駅付近の下り線も高架化され
> ますし、ちょっとしたイベント続きですね。

自分も一昨年のINTEROP帰りに、上り切り替え後の様子を歩いて見て
回る機会が有りましたが、それっきりです(今年は業務に関連したネ
タが見いだせなかったので、パス)。少し歩いてたら、日本代表がWC
決める試合(?)だったかに間に合わなくなったような。
暮正月に帰京出来れば、完成してるわけだから、足を伸ばすかも。

#ここも1980年代以前からの懸案(TVに、踏切遮断ロープを潜る光景
#が、何度も使われたり)でしたが、四半世紀掛かってしまう物です
#ね。先の週末のこちらの地方紙に、兵庫県内の連続立体交差のPR
#が出ていましたが、首都圏より用地とか楽そうに見えて、予定通
#りでも20年規模の工事が結構有るので驚きます。長い所ほど、目
#に見える工事に着手するまで(調整や用地取得期間?)が長く、全体
#の半分ほどに及ぶケースが多いようです。

正月は目黒線急行はどうにでもなるとして、東京西郊にも見たいネ
タが出来てたような気がしたけど、なんだっけ?(小田急?、中央線?
Web上のニュースか雑誌で見たけど、すぐ忘れた^^;)