In article <e5s3j3$7v9$1@caraway.media.kyoto-u.ac.jp> kodera_m@cool.odn.ne.jp writes:
>「意識して」にしては、最初、今池の築堤から下りきった所で分岐
>かとか思っていたら下りた所が今船電停でして(^^; この電停が千鳥
>に挟んでる道が、平野線が阿倍野に向かう道そのものですけど、交
>差部で直角に曲がっていたのだとすると「今池起点」という予備知識
>と合わない。取って返して、後部の窓から築堤法面などに注意しなが
>ら見ていると、
>http://www.mapfan.com/index.cgi?MAP=E135.30.17.2N34.38.26.6&ZM=12
>の中心点の所に2段階で築堤の幅が広くなっている部分が有ります。
>その先は建物で分からず(汐見橋から旧玉出への、西連絡線への分断
>状況に似ている)でしたが、こうやって詳細な図で見ると、廃線跡に
>建った建物の形状や側道らしきものの形で、廃線跡が分かりますね。
なるほど、綺麗に見えますね。
というか、かなり跡地利用が進んでいるということを知らなかった^_^;

それにしても、現存線の至近にある廃線跡にホテルが建つってのは
パターンなんでしょうかね。
http://www.mapfan.com/index.cgi?MAP=E135.52.24.1N34.59.56.7&ZM=11
も実はそうでして、
ここが廃線跡であることは、西続きの廃線跡である国道1号を走ると
真正面にホテルが見えることで確認できます。
廃線が1921(大正10)年というところで、根本的にスケールが違いますが。

>道路への合流は
>http://www.mapfan.com/index.cgi?MAP=E135.30.21.5N34.38.21.2&ZM=12
>のあたりってことになります。
で、ここの「専用軌道区間から路面区間に入る直前」に飛田電停がありました。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%8A%E8%88%B9%E9%A7%85
には、今船電停が平野線廃止に際して「新規に設置された」とありますが、
正確には「復活した」だったハズです。
古い古い地図に載っていた記憶があります。

>#勾配中で分岐していたとは...
勾配中と言えるのかなあ?
少なくとも今池電停のプラットホームより急傾斜ということは無かったと思います。
今池電停のプラットホーム間をつなぐ踏切は浜寺側にあったと思いますが、
確か、この踏切はレール8本を跨いでいたんじゃないかと。
それも「阪堺上り左→平野上り左→阪堺上り右→平野上り右→阪堺下り右→……」
の順に跨ぐ構造だったような気がします。
ちょっと記憶が曖昧で、間違いかもしれませんが^_^;

#「間違い」の可能性があるとしたら「余所との混同」です。
#どこかで、確かにこの構造を見た記憶が……

                                戸田 孝@滋賀県立琵琶湖博物館
                                 toda@lbm.go.jp