武部幹事長は「むだな道路などない」と言ってしゃあしゃあとしているが、あれば便利というものは無尽蔵にある。使うことが少なくてとても採算が取れない道路も鉄道も飛行場も港湾もみんなあれば便利なのだ。たまにしか使わないけれども、使うときには便利だからだ。こういうものは、生活用品のなかにもいっぱいある。だから買っておくか、といえばお金がもったいないから買わない。ちゃんと財布と相談して決めているのだ。
 しかし、公共建築物の場合は、そういう費用対メリットという論理は適用されないものらしい。使用頻度が少なくても、あれば便利だから、住民が欲しがったり、地方議員が体面上要ると思うものは費用対効果を度外視して作ってしまう。費用は手前の自腹を切るわけではなく、税金や国民への付けでまかなうからである。このような考え方は、官僚も政治家も全く同じである。
 住民の要望に応えるというのは、議員として当然のように聞こえるが、票を引き付けるためなのだ。国政に携わる国会議員なら、国の財政を考えて、不用な道路などは造るべきではないと住民を説得すべきだが、票のためなら国政などそっちのけにする国会議員共ばかりなのだ。
 道路公団民営化でさんざん議論された高速道路の計画路線9342キロがすべて作られることになったのもこのこのような考えによるものである。民営化された会社では採算性上作れない道路は、国が税金をつぎ込んで作ることにしたのだ。一体何のための民営化論議だったのか。
 このように、議員は票をかせぐために、官僚は私益を確保するために、税金や国民への付けでまかなうものは只、という考えがある限り、780兆円の国、地方の借金、つまり国民への付けは膨らみ続けるであろう。そんな政治家や政府を国民はまだ支持し続けるのか。
 村上新八