fjでは既に「国民の馬鹿」を堂々と問題にする傾向にある。しかし、これほどま
でに素直に且つ端的に「国民の馬鹿」を問題にするメディアなり雑誌なり学問が
嘗てあったであろうか?

わたくしが少し齧ったことのある「法学」では「国民の馬鹿」を視座に据えた分
析を心がけたものはなかったように思う。十把一絡げに「民主主義」的か否かで
ことが説明されていた。しかしその民主主義の「中身」に立ち入った分析を心が
けようとはし無い。全ては平均化された「民主主義」の問題として処理された。

これでは存在するものも見えては来ないし、不存在のものが見えてくることにな
たリする。その意味では非学問的議論の場であるfjこそが学問的であると言って
も過言ではない。w

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太宰 真@URAWA