yam wrote:
> "Tsuno" <g-seven@mtg.biglobe.ne.jp> wrote in message
> news:dhk74e$ift$1@news01.iij4u.or.jp...
> 
>>>裁判なんて、そんなものでしょ?
>>>
>>>でも憲法違反でもお咎めなしなら、憲法の政教分離に一体何の意味
>>>があるんだろう? 立法にしか影響しないってことなのかな。
>>
>>
>>違憲というからには原告の勝訴にして、1円でもいいから損害賠償請求を認め、
>>被告の上告の権利も守るべきなんじゃないのでしょうか。
> 
> 
> ちゅうか、以前の地裁判決もそうだけど、おかしな裁判官の
> 私的感想程度の話でしょ>違憲判断。
> 判決文の中に、「おまえは嫌いだ」とか「タレントの〜〜さん、後で
> サインください」とか「今日はいいお天気ですね」とか、なんら関係
> ない事を入れ込んだのと大差ない。
> そもそも、判決になんら影響を与えない事をわざわざ加えても、
> 何の意味もない事が理解できない人間が裁判官しているってのも、
> 如何なものかね。

何にも知らない兄弟出の馬鹿くん。休み休みものは言うべきだすな。まぁ、お前
の駄文に答えるのは後回しにして、まず、この場をお借りしてfj.soc.ppolitics
での今後も含めた議論にいくらかでも便利になるようにとの思いからポイントだ
けを申し上げましょう。(yam氏の戯言に付き合うんじゃもったいないしね)

(1)裁判というのは具体的争訟事件を前にして、そこでの紛争を解決するのが
その目的。その具体的事件を離れて一般的に、靖国参拝が違憲か否かを提起され
たとしてもそれに答えることは「裁判」ではない、という前提がまずある。

(2)では、憲法違反などという判決が必要的になされることはまずありえない
ではないか、という疑問が出るかもしれない。ところがさにあらず。小泉首相の
靖国参拝行為が憲法違反であり、そのために(=これを原因として)原告らに損
害を与えたのであれば、小泉首相の憲法違反行為が除去されていなければなかっ
た。こう言えてはじめて、判決を言い渡すための理由付けに憲法違反を論ずる必
要性が出てくる。憲法違反がこうやって、レイシオ・デシデンダイとして判決文
の中に上がってくるわけです。これが狭義の意味に於ける「判例」。

(3)ところが、

     首相の参拝が原告らに対して靖国神社への信仰を奨励したり、
     その祭祀(さい・し)に賛同するよう求めたりしたとは認め
     られないから原告らの権利や利益は侵害されていない、
                  (大阪高裁判決文の一部趣旨)

とする場合には、小泉首相の「参拝」が憲法違反であろうと無かろうと、それが
原因で原告らの不満を解決することにはならない。つまり、小泉首相の「参拝」
を憲法違反と認定し、その違反行為が無かったならば原告らに損害が生じなかっ
たであろうという性格のものではない。ましてや、原告らには何ら損害がないと
されるにおいては、その回復さるべき不存在の損害とその原因行為としての靖国
参拝行為との間に因果関係を認定する必要性すらないことになる。ゆえに、原告
に損害を賠償する必要性ありや無しやの判決を言い渡すのに必要的に憲法違反か
否かを問題としなければならないものではないという意味において、いわゆる
「傍論」なわけです。

(4)だからと言って、yam氏のいわれるような、

   > 判決文の中に、「おまえは嫌いだ」とか「タレントの〜〜さん、後で
   > サインください」とか「今日はいいお天気ですね」とか、なんら関係
   > ない事を入れ込んだのと大差ない。

というような軽はずみなものでも無い。必要的に憲法違反か否かを論ずべき事件
がおきたときには、かかる首相の行為は憲法違反である、と明言し、政治学的に
はそれを行政府に警告したことになる。その意味で、画期的なものなわけ。

(5)なお、わたくし自身は小泉首相の靖国神社参拝行為は憲法違反だとは考え
ません、ことをお断りしておきます。わたくしは創価学会員でも無いしね。

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太宰 真@URAWA