"himtkitk" <himtkitk@insat.rnu.tn> wrote in message 
news:42e65c67$0$963$44c9b20d@news3.asahi-net.or.jp...
> yam wrote:
>> "himtkitk" <himtkitk@insat.rnu.tn> wrote in message
>> news:42e50958$0$28356$44c9b20d@news3.asahi-net.or.jp...
>
> そうでしょうな、どこかに仮想対立国家や国民を想定しないと成立しない
> 国家意識ってのは個人としてのアイデンティティーが無いからだと思うちょるが、、、

こんな事を考えるのは、人間と言う一個の動物を買いかぶりすぎ
ている証拠でしょうな。

これも一種の御病気ではありますまいかネェエ。人間は確かに
高邁な理想も掲げます。しかし、このことが却って、人間も現実に
は動物の本能から脱却はできないものであることを示しているの
ではないか。

サルは何故群れるか、などとサル自身は考えて行動はしない。
サルどもは長い経験の中でそうするのが自分たちに都合のよい
ものであり、もしくはそれさえも意識することなく、「当たり前のこと」
として、本能的に行動する。むしろ、傲慢な周りの人間どもがサル
をして「何故サルは群れるか」を勝手に推測する。で、このことは人
間という動物にも変わりはないのであります。神は、勝手に、「人
間は何故群れるか」を考える。Shikashi氏は今、御自分を神の立
場に立たせて悦に浸っている、ということではないのかな?

たしかに、人間と言う動物にはことばもあるし、文字もある。思考
力もすごい。いらぬ事まで考えるほど。ことばや文字は本来不可
能な事をも実体化してあたかも可能な物事であるかのような錯覚
さえもたらす事になる。もちろん、これがあるからこそ「大当たり」
したときの成果はものすごく、人間はサルどもをはるかにしのぐ存
在ともなりえた。

ゆえに、われわれが、実際は不可能な事であっても可能性がいく
らかでもあるとする限りはそれを理想として追求するその姿勢は
勿論重要なことではあろうけれども、

      それを使うべき場面の選択はさらに一
      層重要である、

ということではありますまいか。「国家」ってなんだろう、などという
ようなことにはなけなしの思考力を使う場面ではない。「個人として
のアイデンティティー」とか、いらぬ事まで考えてしまうから。

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太宰 真@URAWA