"mac-in" <mac-in@mx8.ttcn.ne.jp> wrote in message news:42f235e5.786%mac-in@mx8.ttcn.ne.jp...
> mac-inです
> 
> Takuさんは<050803204653.M0100606@myhost.softhome.net>に
> お書きになりました。
> 
>> >> この思想は大戦を通じてあまり変わっていないのではないでしょうか。
>> >
>> >山本五十六は航空兵力重視で、海軍軍令部との対立もあったようです
>> >が、帝国海軍の考え方として、艦隊決戦志向だった証拠はありますか?
>> 原本を読んだことがないので紹介のみになりますが,
>> 「帝国国防方針」に書かれているのではないでしょうか。
> 
> こういう「方針」があったんですね。(って、あるのは当然か)
> いかにも艦隊決戦志向で書かれていそうです。
> 
> でも最後の改定が昭和11年6月ですから、
> 開戦直後の変化が反映されずに、艦隊決戦志向の記述のままに
> なっているのは当然でしょう。
> 
> 改定されずに「方針」として定められたままだったんだから、
> 艦隊決戦志向が方針だったんだ、というなら、その通りではあります。
> 
> このときの最後の改定で、ようやく航空戦力が本格的な主戦力の
> 一つとして記述されたようですね。

話を蒸し返すようで恐縮ですが、大日本帝国は確かに空母の建造能力
には優れたものがあったと言われています。現に、ドイツにそのノウハ
ウを教えていたと言う噂もあるくらいですから。

しかし、御承知のように日本は島国であります。相手敵国に攻め入るに
は常に大洋を跨がなければならない。しかも、攻め込まれた段階で攻撃
を強め相手国を殲滅させるなどと言うような手法は取れない。日本国は
せまっ苦しい棒状の国だからであります。このことには早い段階で気づ
いていたと思う。つまり、勝つためには進んで攻めてゆくしか方法は無く、
この「攻める」時には必ず大洋を跨がなければ成らない。

ではどうするか、相手敵国に自国を近づけるしかない。そこでとられたの
が攻撃地点である基地を相手敵国に近づけること。すなわち、基地を船
に乗っけて運ぶと言うやり方。

このときには、まだ相手敵国の航行中の艦船を攻撃することを主たる目
的とはしていなかった。飽くまでもこっちの用途には連合艦隊が対処する
と言う手法であったと思うわけです。とくに、戦艦には戦艦をぶっつけると
言うようなやり方であったわけです。つまり、真珠湾で攻撃した艦船は飽
くまでも敵国にそびえ立つビルディングであったわけです。

以後、航行中の艦船を攻撃するのに最も有効なのは洋上の空母から発
進した航空機である事が分かった、ということではないでしょうか?ここで
は、相手敵艦を沈める攻撃として正面から航空母艦と航空機が使われる
ことになる。動く空母は単なる基地の移動ではなく、それ自体が今で言う
二段階ミサイルの第一段階をつかさどる「飛び道具」なのであります。

この意識にも遅れがあったからミッドウエー海戦も優勢には戦えなかった
とはいえないでしょうかね?

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太宰 真@URAWA