"himtkitk" <himtkitk@insat.rnu.tn> wrote in message 
news:42efa6bc$0$15144$44c9b20d@news3.asahi-net.or.jp...
> 太宰 真 <popcorn05@bridge.ocn.ne.jp> wrote in message
>           <dcmm06$4b6$1@news-wst.ocn.ad.jp>:
>> 日本国民であれば日本国を背負うとする気概を持つのは当然です。
> こう云う概念が崩れて来ているのは喜ばしい事じゃといっとるんじゃが、
> 一方でこれに危機感を抱く輩もいるから、ことさら国旗への崇拝やら
> なんやらというのが目立ってきておるんじゃな。
>
>> 中国人が中国を背負うとし、朝鮮人は朝鮮を背負うとするのと同じ。
> 韓国人は未だに韓国を背負わねばと言うのも居るけど、中国人には
> 元々単一民族意識は無いから、中国を背負っている中国人は何らかの
> 形で現政権の恩恵を受けとるか受けようとしとる中国人だけなんじゃな、
> 大多数の中国人は国家など背負ってはおらんよ。

余計な「おはなし」には耳を貸すのは止めることにして、まず、ここでの結
論としての、

     大多数の中国人は国家など背負ってはおらんよ

とする御意見に意見申し上げたい。端的には、「だからなんなの?」とし
か言いようが無い。Shikashi氏自らがお認めのように少なくとも「少数は」
国家を背負っているわけだ。わたくしの意見はこちらの方をあるべき姿で
あるとする趣旨をも同時に含んでいるわけで、これに対して上記のような
御意見を述べられても糞の役にも立たないのではありますまいか。

もう少し詳しく言えば、そのように言う意図が見えないということ。それを
言うならば、お前がそうする意図だって見えない、とされかねないので、
このことは後に述べようと思う。

>> この当たり前のことを、さも何か深淵な考えをしているかのような「素
>> 振り」の下に国民主権国家への忠誠を軽視したり、国家に対して斜に構える
>> 思想の方がアップ・トゥー・デートだみたいに思ったりする輩が年々増えて
>> いるようなのはまことに遺憾である。
>>
>> Shikashiくんまでをも汚染するほどのこの「斜視」とは一体どのような
>> 病気なのであろうか?
>
> himtkitk wrote in message <42ec3788$0$25197$44c9b20d@news3.asahi-net.or.jp>:
>> 日本人あるいは日本国の国民である事を持って尊敬される云々
>> と言う認識自体から脱却せんとね、国家あるいはその国の政治
>> 体制と個人である自身がどうかとは全く独立なのだが、アイも
>> 変わらず、国家を背負って歩いて無いと不安な人間が多いね、
>> 70年代と比べればそういう日本人はずいぶん減ってきてるのは
>> 事実だが、、、

問題が問題なだけに正確さが要求される記述が必要であるにもかか
わらず、評価するのが不可能なほど大雑把な御意見なのだが、「大雑
把」でないと却って思考の緻密さに着いて行けず、理解不能という輩も
おいでのようなので(笑い)、Shikashi氏はわざとこのような書き方にし
たのでありましょう。

ゆえに、ここでは私のほうから分析的に意見を申し上げたい。

    日本人あるいは日本国の国民である事を以って尊敬さ
    れる云々と言う認識自体から脱却せんとね

に関して。このように言うことは杞憂であります。他に何の理由も無くそ
のように思う者は殆どいないといってよい。よってそれは作り話である。
「作り話」からの「脱却」を促されてもなんて答えたらいいか、、、。

    国家あるいはその国の政治体制と個人である自身がど
    うかとは全く独立

どうして「独立」なんでしょうね。それはShikashi氏自身がそうしているか
らであって必ずしも客観的とはいえない。それに、ここで言う「国家ある
いは国の政治体制」の意味があやふや。もっとも、観念的分析を超え
て、生の実際を対象にする限りは、二つの国家概念の区別は不要であ
って、先のKaz Hagiwara氏のアドバイスは無用だとわたしは考えるゆえ
に、ここでは突っつかない事にしたい。そんな事よりも、軽々しく「独立」
だなどと言い切ってしまうあたりが問題。生物学的に見れば個としての
個人は国家とは全く別物と言う意味で「独立」なのは言うまでも無く、そ
のような事を言って何かなるはずのものではない。「国家」とは建物を言
うのか?家みたいなものを言うのか?それとも政治組織を言うのか?
「国家」とは「個人」の延長であって、同質ものである。「国家」はただ個
人一人によって出来上がってはいないというだけ。この考えによれば、
一見、別物のように見えて全ては合力的に結びついている。「国家」概
念は仮に理念的なものだとしても、こう捉える事の方が出発地点にそぐ
うものであろう。

しかし、実は、わたくしは、こんなことを一番申し上げたいわけではない。
Shikashi氏のように言って「何を意図するか」、これが最も重要だと考え
る。はて、なにを意図しているおつもりですか。

> ワシには個人としての自覚も無く、単に日本に生まれたと言うだけで
> 個としての自己を認めさせようと無意識下に行動しないと不安な人間の
> 方がよほど病的に見えるがね。

このような人って居るんですか?とりあえずはこれも「作り話」ではないの
かね?自己の結論を導き出しやすいように話を作ったというだけではない
でしょうか。このようなことをやっても何も得るものは無い。『朝まで生テレ
ビ』に出演していた人のことばを借りているだけでは?

>>      日本国家を意識しそれを背負いたくないのであれば、
>>      日本国民であることをやめればよい、やめるのは簡
>>      単、国籍を離脱すればよいのだから(w)
>
> 国家とはアプリオリに与えられている物ではなく、自己の必要に従って
> 作り上げる物じゃよ。
> じやから気に入らんかったら作り代えるものなんじゃな。

だからさ、その作り変えたものを背負う気は無いのかってことだわな。w

 kaz hagiwara <kazhagiwara@yahoo.co.jp> wrote in message
> <3l87a5F11crjnU1@individual.net>:
>>>"himtkitk" <himtkitk@insat.rnu.tn> wrote in message
>>> news:42ec3788$0$25197$44c9b20d@news3.asahi-net.or.jp...
>>>>面白いのは海外で逢う韓国人だね、女性はずいぶん変わって
>>>>来てるが、男性は結構いまだに国家を背負ってるのが多い、、、
>>>>随分かったるいだろうなとしか思えんが、、
>>
>> これの「国家」は「民族」とほぼ同義ですね。つまり同族国家。
>
> そういうことじゃね。こう云うものは要らんのじゃな。

ほうほう。Kaz Hagiwara氏のアドバイスが何か自己の意見に力を与えた
かに感じてしまうあたりはShikashi氏でさえまだまだですな。一例だけ挙
げれば、日本民族に属した個人が嘗て日本国籍を有してはいたが今は
離脱して日本国家の国民ではなくなっているとしたとしよう。このような者
が「日本国を背負うか背をわないか」は実はどうでもよいことなのです。

>
> 太宰 真 <popcorn05@bridge.ocn.ne.jp> wrote in message
>           <dcmm06$4b6$1@news-wst.ocn.ad.jp>:
>>>       国家は国民が必要とするから存在している
>> これは、国民の生活を成り立たせる「システム」としての'state'の意味。
>>
>> 両者は重なる部分もありますが、成り立ちが全然違います。ゆえに両立し得る。
>> 同族国家の意識がなくたって、生活システムとしての国家の意識は持ちうるわけ
>> です。
> 国民が必要を認める国家とする為には、構成要因たる個人が夫々に個を確立せねば
> ならんのじゃな、、

ん、大いに結構じゃないですか。
国民は国家が必要とする国民である事を確立する事も必要だよね。w
だって、国家は国民の延長だもの。その国家にマッチすることは民主
主義を地で行くことにならないかい?
そして、日本国民であれば日本国家を背負う気概を持ってくれれば尚い
いよね。だってこれは当たり前のことだもの。

> --
> ハンドルを変えて、別の視点で論を展開すると言うのは知的訓練として
> 否定はせんが、一部を切り取って論を展開するんでは訓練にはならんよ、
> そこも変えんとまだまだ Golden Cross のまんまじゃな。

ほほう、一部の特殊な事例を説明するのにその特殊な対象に絞れる表
現ができないからといって他を詰るのはどうなんだろう?これまでの切れ
味鋭いShikashi氏とは別人みたい。結局どんな人にも言えることだが、
どこかで語られているものを拝借するだけであったり、何とはなしに感じ
ただけでそれが果たしてどのような機能的意味を持ちうるのかをもういっ
ぺん考えてみようとしなかったならば、こうなると言う言い例ではなかっ
たかと思う。

最後に、わたくしが意図するもの。簡単に。

(1)国家があるからこそ人間は努力する。個人と個人の関係でも努力
   は可能であろうが、物事によってはそれにそぐわないものも有る。
   しかも、「いいではないか、二重三重にあったほうが 」。
(2)内的には国民にはどんなに自由になりえても責任があるという教え
   にもなる。
(3)Shikashiの御説のとおり国家は造られるもの。それは自己を作るこ
   とに他ならない。このことを意識する事になる。個的人間を過大評
  価してはいけない。個的人間は広大な自由の中にも国家目的には
  マッチしなければならないとする制約を知るべし。現状では嫌ならば
  改善しようとするは当然。それでも嫌ならば国籍を離脱すべし。
(4)世界国家などという貴重な「夢」が頭に浮かぶのは「国家」が現に
   存在すればこそである。

以下、省略。(おことわり:この以下には「所属しないと不安だから」、な
どというようなことは一言も無い。念のために付け加えておきます。

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太宰 真@URAWA