人は、手足を動かした時の感覚なしで、頭で組み立てた論理だけでは、ものを
考えらない。力の概念は論理的には不要ですが、手足の感覚のともなう力概念
は必要です。手足の感覚が本当は何かを考えることは大事ですが、それは論理
的な整合性を考える時のことで、いわば検算段階の話です。

初等力学の問題では、外力を導入した途端、運動量保存は成り立たなくなりま
す。問題を解く時、考える対象とすべての矛盾を受け入れる環境に分ける必要
があります。初等力学の要諦はこの分離ができるかどうかです。

エネルギー・運動量の保存だけで物事を考えると、宇宙全体を考えることにな
ります。保存するとは場所を変えることですから、「万物は流転する」としか
言えません。古代ギリシャに戻ってしまうだけです。

この問題では力は運動量の流れと言う明確な意味を持っています。流れが細る
という意味で減衰という言葉も悪くはありません。

いろいろな問題を解いてきた歴史的な概念は少々の論理的破綻をものともしな
い力があります。そのような歴史的な遺産が次世代に受け継がれていないこと
が気になります。

                                                Kiguchi,