wacky wrote:
> OOTANI TAKASHIさんの<uis2tqq0c.fsf@anet.ne.jp>から
> 
>>大谷です。
>>追伸:
>>
>>
>>>In article <4258e652$0$984$44c9b20d@news2.asahi-net.or.jp>
>>>    wacky <wacky@all.at> writes:
>>>
>>>>果たして「fjそのもの」などというものが存在するのでしょうか?
>>
>>「fjそのもの」が存在しないというご意見なら、今後は、
>>「fj」を主語とした表現は*誤解を招くので*お止めください。
> 
> 
> 形而上的には存在するでしょう。

そうです。存在しますし、その「形而上的」表現を一般社会生活でも駆使できな
ければそれだけ「ことば」を知らない人物の部類に属する事を知るべし。

> 具体的な行為の担い手としての「fjそのもの」は存在しないでしょう。

「形而上学的には」と言うwacky氏の御説明は、やや大げさであるかもしれない
けれども、実は正確で且つ正しい。wacky氏は単に「fj」というよりも「fjその
もの」とした方が「凡人」にもいくらかは分かりやすいかな、と言う配慮からそ
うしたまでであって、「fj」とするがけでよかった。それで当然に正しい表現で
す。ここでは残念ながらわたくしも「喩え」を用いて説明させていただきます
が、「fjそのもの」に類似する表現は社会には多数存在する。そしてそういう言
い方のほうが逆に正しいものであることを一言。

たとえば、皆さんが何の疑問も抱かずに使ってきたことばに「会社」がありま
す。「会社」ってことばで何を示しますか?「会社」って、

(1)「建物」を指すんですか?
(2)そこで一番偉い人である「社長」を指すんですか?
(3)そこの社員の一人一人を指すんですか?
(4)社員の集合体を指すんですか?
(5)株式会社であれば株主の一人一人を指すんですか?
(6)株主の全員を総体的に指すんですか?

正確な意味で「会社」と言うときには、以上のいずれも間違いで、「法人」を指
します。つまり、○○会社という「法人」を指すわけです。では、その「法人」と
は何ぞや?法が便宜のために作った、独立に権利・義務の主体となりうる地位
(これを「法人格」という)を法によって付与された、人の集団や財産の集合を
きっかけにしての、いわば<観念物>を指すわけです。だからいくら探しても見
当たりません(笑い)。つまり、「形而上学的」にしか認識できないものです。

さらに進んで、では、「法人格」を持つことが全てだろうか?実はそれも決定的
ではない。「法人格なき社団あるいは財団」とかよく話に登ることを考えてもそ
れが分かるのではないでしょうか。これについては深入りを避けます。

今回は、したがって、fjへの個々の参加者でもない個々の参加者の数としての集
合でもない、それらとは観念上区別されたものが存在する、それが「fjそのも
の」くんである、としてよいのではないでしょうか。

では、fjではそんなものはないのでしょうか?或るfjへの参加者が俺が言う事は
全てfjの参加者は守らなけっればならないとか、fjへの参加者の100名が俺ら
の言う事はfjの参加者は誰もが守らなければならない、とかが通用しないのなら
ば、「fjそのもの」は存在している事を示す。

よく、fjの「総意」とかを言う方がおられます。何処まで分かってそういうよう
なことばを使うかは不明なのですが。そしてそれは、fjが世界中の参加可能者を
前にして、たったの5~60人でも「総意」が認識できる、とするようです。
まぁ、これにはいろいろ疑問もありますが、いわば、

      「総意」を帯有すると「考えられている」観念物
       fjの総意を実現できるパワー元

これが、「fjそのもの」に近いと言えよう。これを、議論の場である「fj」で具
体化すれば、「総意」は<観念物>だとしても生の人間の行動でもって行動せざ
るを得ないわけですから、

      これがfjの総意だ、みたいな言い方をする者たち

これなんかは正規ではないにしても、かなり「fjそのもの」くんには近付いた存
在と思っていいのではないかな?

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Golden Cross