たしかにそんな気もしますね。でも河野氏、何故実名・所属表明がいいのか匿名
主義がいいのかはお互いが十分に話し合っておらず、この議論を仮に表現の場と
してのニュースグループには本質的なものとした場合、こちらの議論がやはり不
十分だと思う。

非本質的な視点、文化かどうかとか、ルールといえるかどうかとか、喩えの仕方
がどうのとか、慣習法とはなんぞやとか、そういう話が大分をしめる議論はあっ
たがいずれも実利的な議論とは言えない。

ですから、この本質的な議論をもっと十分に行う必要があるのではないでしょう
か?それもろくにしないで、河野氏の言われるような、

    実名・所属を推奨するとか、固定ハンドルでありゃよいとか
    って方向で議論を進める、

っていうのも、途中からの話です。しかもほんの一例に過ぎないものでしょう。
これでは、結局は、いくら何かを決めたにせよ、守られる事はないでしょうよ。
ですから話を途中からではないものにしなければならないと思うのです。面倒で
しょうが、全て、表現は、「内容」を表現するという視点に立ち、

(1)fjは記事内容を表現する場と捉える事では何が足りなくてそれはどういう
   理由からか、また、その理由は妥当か、
(2)fjのいう「表現」とは何か、ただ書きなぐれば表現となるものなのか、
(3)「表現」行為の責任って何なのか、
(4)fjは投稿者・購読者に何を期待するのか、また何を目指すのか、等々。

この最後のものは期待や目指すものといっても結局は実現されるとは限りません
が、間接的にfjの性格を絞る役目は十分に果たすと思う。わたくしは、このよう
な議論を十二分にする必要があると考えます。本当に、議論をする場と考えるの
か、本当に議論をする場と考えるのであればそうでない場と比較し何がなくては
ならないのか等々も含め、遠慮はいらないと思う。実名・所属表明主義者が困っ
ているという、所属へのいたずら電話の件についても正直に言うべきだと思う。
これなどはどの主義に立とうともとんでもない行為であって、「表現」を行う者
の風上にも置けない事だからであります。ただ、それがストレートには実名・所
属表明主義に結びつかないのだよ、というに過ぎないわけです。

とにかく、「表現」についての考えやその練り上げが極めて幼稚、且つ無神経。
一方では、変なところに極端に厳格で、また他方では重要なところに目が点にな
るくらいいい加減。その理由は、研究者の卵の集まりの<なぁなぁグループ>で
あると同時に彼らの私的な語らいの場(chat)という漠然としたものを何の反省
も為しに引き継いでいるからでしょうね。今はそんなものは無視されなければな
らない。

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Golden Cross