《野放しの自由など認める国は世界のどこにもない。》



記者クラブの改革に当たってこの際ついでだ。



報道の守るべき基本法をシッカリ確立し、報道する場合に社会規範を守らせろ。

放送メディアには基本法があって、新聞には何にもない。

新聞は野放しの自由になっている。



もちろん社会主義運動がそうさせているのだ。

戦時中の行き過ぎた規制を立てに必要な社会規範さえなく、やりたい放題になってい
る。



左翼の繰り広げた、無警戒無防備運動が功を奏している。

野放しの自由は文民ゲリラ活動の自由を認めるようなもんだ。



世界のどこにこんな国があるか?

国の発展の取って、最も大事なひとつの要素である報道を、社会規範も法もなく野放
しにしているところなどない。



国によって報道を規制する法はない場合でも、国に忠誠を求める法やスパイ防止法は
しっかりあり、社会規範の醸成は確保されている。
日本はこのような法が全くなく、野放しになっている。



野放しの自由と報道の自由とは似てもも似つかないものだ。

国の発展にとって必要な大前提が確保されていない。



正しい前提条件でない限り正しい報道は生まれない。

正しい政党勢力の躍進につながらない。

日本は改革できない。



まさに選挙全般にわたって報道力の問われた選挙だった。