takehiro yanagiさんの<cahm8n$6t$1@news2.bekkoame.ne.jp>から
>池田尚隆 wrote:
>
>>*読んでますが*
>
>>…位置は時間によって刻々と変わります。
>
>>ある座標を原点とする座標系を用いて…
>
> 
>
>◆「位置は時間によって刻々と変わる」と言っているが、
>
>その「『変わる事』を調べるのに必要な『変わらない事(基準)』」は
>
>どの様にして決定するのだ。

これは、位置は時間の関数で表されるという意味で書いているだけです。
何を基準にしてもかまわないのだから、逆に言えば逆に言えば何かを基準にす
ればいい。偶然基準にされたものが速度0になるだけの話。

>空間において位置確定が出来るのは「一物体の絶対静止」である。
>
>今の運動学は絶対静止を排除しているから、相対的には、
>
>その様な位置確定を試みても*階層的循環*に陥って不可能。

そもそも、そのような意味での位置確定をする必要なんて「さらさらない」の
で、しないわけです。

>◆「*ある座標*を原点とする座標系を用いて…」とは何だ。
>
>*相対性*一辺倒の今の運動学では、
>
>「*同時に双方の座標*をそれぞれ原点とする座標系を用いて…」
>
>としなければ論理矛盾である。すなわち、三体関係では、

なぜ、そこで論理矛盾になるかがわからないですが。
というか、Yanagi物理論の最大の問題点は、この
「矛盾が生じないものを矛盾といってしまう」
点にあるといえます。

同時に二つの座標系を用いれば、当然「二つの表示が存在する」のはあたりま
えの話ですよね。なぜなら、ある位置を表示するのに必ず一つの表示しか存在
しないのならば、それは相異なる二つの座標系ではないから。

>*座標の堂堂回り*が生じ、「*ある座標*」と言う特定は無意味である。

座標の堂々巡りは生じません。
A座標系での表示とB座標系での表示が表示されるだけです。
その表示を混同している点に問題がある。


>*陳腐なアホ理屈*を持ち出すな。
>
>*浅知恵の猿*め、論文を良く読んで考察を重ねろ。
>
>*浅知恵の猿*め、論文を良く読んで考察を重ねろ。
>
>*浅知恵の猿*め、論文を良く読んで考察を重ねろ。

こういうくだらないことを書くパワーはあるんですね。

>問題の解決法の要点を下に書いておいたから、
>
>それらに注意しながら論文を良く読んで考察を重ねろ。
>
>◆物事(思考)の始まりは相対関係(原初の設定)。

とりあえず、「ガリレオ」の相対性原理の話をベースにしていると理解してい
ます。

>◆相対関係は情報伝達速度有限を、論理的に排除して成り立つ。

これは、相対性原理の話をする間は必要ないはずなんだけど。
情報伝達速度が有限であることが問題になるのは、運動の速度が情報伝達速度
に非常に近い場合の話であって、これはガリレオの相対性原理の話の対象外。
だから、ガリレオの相対性原理の話の中では、情報伝達の速度は事実上無限と
して扱われています。
#これは、光速度が一定であるという「実験的事実」の導入によってもろくも
くずれさったわけですが。

>◆情報伝達速度有限の排除は時間の排除につながる。

これは、間違いだと思う。時間を扱うということは、それすなわち時刻で表さ
れるものを積分したものを対象としているだけだということ。
ある時刻における速度が時刻の関数で与えられたときに、移動距離は時間の関
数となる。

>◆幅のある時間を幅のない時刻で排除する。時間と時刻の相互定義。

よって、排除する必要は無い。
時間と時刻は相互に定義するかもしれないけれども、
本質的には時間の方は時刻の定義なしに定義可能(だと思う)。

>◆距離(相対関係)は一つの時刻で規定する。

まあ、これはいいでしょう。

>◆時間(幅)とは、例えば過去の時刻を今の時刻で思うこと。

「思うこと」なんてのは、物理とはかけ離れたものです。
時刻とはある座標で、その距離が時間で表されるもの。
くらいの定義で十分だと思うけど。

>◆座標系は、一つの時刻における距離を規定するだけの機能しかない。

「一つの時刻における」が間違ってる。
一つの座標系で複数の時刻の距離が規定可能。
ついでにいうと、これ距離だとスカラ量に見えるのでどちらかというと
「相対位置」という用語の方がベクトル量としてむしろふさわしいと思う。

>◆過去の時刻距離と現時刻距離から速度(時間距離)を求める。

まあ、慣性運動だから計算上はそうなるけど、
本質的には、これは「平均速度」を求める式にすぎなくて、
時間を微小にしないといけません。位置と速度が微積分の関係にあるっての
が、本質的に理解できていないのではないかと疑念を持つ。

>◆三体関係では堂堂回りが生じ、速度基準の位置確定が不可能になる。

「速度基準」っていう言葉がここで定義なしで出てくるんだけど。
ある座標系で、ちゃんと任意の時刻における相対位置が算出可能だと仮定すれ
ば、それは別の座標でも算出可能です。

まさか、相対位置が算出不可能だと主張されているのでしょうか?

>◆相対的には、空間における位置確定は不可能。

っていうか、そう主張しているのか。
なぜ、相対位置が算出不能なのか私には理解できない。
ABC間の相対位置ってのは、どの座標系でも変わらない(正確には同じ基底
ベクトルを持つ限り)。じゃあ、何が変わるかっていうと、
ABCのうちのどれかと、原点Oとの相対位置が変わるだけです。

>◆空間での位置確定は絶対静止だけ。

というわけで、相対位置っていうのが計算可能だということがわかりました。

さて、私が疑念に思うもう一つの点として
Yanagi氏の「絶対静止」という概念が実はよくわからないところにあります。
いわゆる物理学的にいうところの絶対静止っていうのとは意
味が違います。
物理学的に言えば「絶対静止」っていうのは、「それなしには記述不可能な運
動の存在する座標系」であるところの絶対座標系の存在を仮定してその座標上
での静止を意味します。マイケルソン=モーレーの実験で言うところの「絶対
静止系」あるいは「エーテル」っていうのはそういう存在。

Yanagi氏の定義によると、「絶対静止」というものは、
『「絶対運動や絶対静止」とは、一つの物体で導かれる運動や静止の
状態のことである。』
そうだが、一つの物体とは何かというのも、意味不明だし。一つの物体しかな
くそれが慣性運動をしているのであればそもそも運動や静止は議論できない。
#加速度のある運動は話が別である。これは一般相対論における「等価原理」
から導かれる。

>今の論理・哲学、数学、運動学、物理学では上記の議論が欠如。

ここでは、哲学は論議してません。よそでやってください。
あくまで、物理学と数学だけの話としてやっています。

また、時間も空間も線形則が成り立つ世界(ニュートン力学の世界)の話をして
います。アインシュタイン世界とは公理系がわずかに違うけど、Yanagi氏の論
にまで影響してくるところとは本質的に関係ないので、簡単のためにニュート
ン世界を仮定しています。

そもそも、三つのものがあって、Aを基準にしたら相対位置がわかるけど、Bや
Cを基準にしたら相対位置がわからなくなるなんてのはそもそも「直感的にお
かしい」。自分で書いてて変だとか思わないのでしょうか?

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Yoshitaka Ikeda mailto:ikeda@4bn.ne.jp