民主主義を標榜する一方で、国家道徳や宗教教義を政治に混入させるのは矛盾している。
民主主義政治は、
価値相対主義以外の場ではなりたたない。
さらに、基本的人権という、人類史で培った政治的価値を約束定義として、価
値相対主義といえども国体の前提にしなければ、民主主義はなりたたない。
しかるに、日本の政治は、宗教と、道徳と、国家主義が政治の場を蹂躙してい
る。教育基本法は、国家道徳の押し付けである。価値相対主義に基づくなら、
愛せよなどという道徳は一行も混入できないのである。
小泉は心の問題と称して、政治に靖国神社を混入させた。
堂々と、内閣総理大臣や日本国政府の政治の場に、教義や道徳を混入させたの
である。戦死者は国家に虐殺されたのか、国家に強制されたのか、その切り口
を一切合切無視して、政治に国に貢献したというただその一点を道徳的美徳に
して持ち込んだ。
西洋の聖書にたいして宣誓をする儀式を宗教を政治に持ち込んでいるという議
論があるが、靖国神社のような国家神道で国民を戦場に赴かせるという政治機
関を聖書が担っているわけではない。その意味では、一神教の儀式を政治に持
ち込んではいるが、わが国のような政治機関に宗教を利用しているケースには
あたらない。政治が宗教の儀式を一切排除すべきなのは、政治が宗教によって
利用されるからである。この原点を踏みhazusaはずさない限り、内閣総理大臣
が、葬式に行くことは可能である。それが法の解釈というものである。
だが、日本の政治は過去も現代も、宗教によって政治が毒されている。選挙ま
でコントロールされている。ひどいものだ。これが民主主義といえるだろう
か。
Fnews-brouse 1.9(20180406) -- by Mizuno, MWE <mwe@ccsf.jp>
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