! "<4025c1ea$0$19835$44c9b20d@news2.asahi-net.or.jp>" という記事で
!     Sun, 08 Feb 2004 13:58:20 +0900 頃に wacky  さん は言ったとさ:

> KGK == Keiji KOSAKAさんの<c02e55$omu$1@film.rlss.okayama-u.ac.jp>から

>>> 「個々の行為の評価」のみを切り出してそこで思考停止していたのでは、それ
>>> 以上のモノ→基準には永遠に結びつきません。それでは無意味です。
>> 
>> それは、「個々の行為の評価」に別のものを混ぜ込む理由にはなりません。

> 何も混ぜ込んでなどおりません。

では、行為の評価をするときに別の尺度を持ち出すのはやめましょう。

> KGK氏自身が「行為」を更に分割してそれを「個々の行為」と述べているだけ
> でしょう。

いいえ。
「行為」と呼べるものは「個々の行為」です。
分割したものも「行為」であれば、それも「個々の行為」です。

> 恐らくは都合の悪い何かを排除するために。そして、都合が良い場
> 合は「それは放火による火事の火である」といった(KGK氏言う所の)別のもの
> を混ぜ込んでいるわけです。ってのは以前に指摘した通り。

状況が変われば、同じ動作でも行為の意味が変わることはよくあります。
ですから、それがどのような状況で行なわれたかってのは、行為の起点として
意味があります。それは、常に考慮しています。

> =====

>> その場合は、人単位で考えれば、どちらも勝ちだしどちらも負けでしょう。

> あの〜、^_^;
> 「勝ち負け」を判定しようとしている者など*何処にもいない*と思いますが?

そうですか?

<3fe61464$0$19835$44c9b20d@news2.asahi-net.or.jp>:
| 「被批判者は知らないのがデフォルト」であることは「ばれなきゃ構わん」と
| か「批判したモン勝ち」であることを意味しません。

と「勝ち負け」を導入したのはwacky氏ですが。

>> 行為単位で考えれば、個々の行為ごとに「勝ち負け」が決まりますが。

> じゃあ、具体的に「自己棚上げのAが自己棚上げのBに自己棚上げの批判をし、
> 同Bが同Aに自己棚上げで批判し返した」という設定(そのまんまやね)の場合に
> *何がどのように決着する*というのでしょうか?如何にして「お前こそルー
> プ」を抜け出そうというのでしょう?
> 明確な回答を求めます。

それは、「行為の批判」じゃないですね。「自己棚上げ」というのは一つの行
為じゃありませんから。
# それは一つの行為を問題にしてるんじゃなく、行為の関連性を問題にしてる
# んだってことでいいよね?

例えば、AB 両者がポイ捨てをしてるときに、
・A が B のポイ捨てを批判した。
・B が A のポイ捨てを批判した。
ってのは、それぞれ結着がつきますよね?
行為単位で考えるってのは、そういうこと。

> =====

>>> その通り。だから「放火して消火」は一個の行為と見倣せるわけ。
>> 
>> 下に引用されてるように、いつでも見倣せるわけではありません。

> 「いつでも」など不要ですよ。私は、この議論の為に設定された状況である
> 「放火して消火」について見倣せると述べています。

この議論の為に設定された状況ってのは「自分で放火して自分で消火した」と
いう以外にはありません。
ですので、一個の行為と見倣せるとは限りません。

>> ともあれ、ここでの論点は「どういう場合に一個の行為と見倣せるかどうか」
>> ということ。

> そりゃあ目的しだいでしょう。
> 一貫した目的の基に行われたのであればその小行為郡は一個の行為と見倣せる
> でしょう。一方、無目的に放火し無目的に消火したのであれば、それらを一個
> の行為と見倣す理由はありません。

これは同意。
# っていうか、最初からそう言ってんだけど。

> =====

>> マッチポンプの場合は、最初から全焼させる気はないでしょうね。
>> 全焼させちゃったら、当初の目的は達成できないか、効果が半減するでしょう
>> から ;P

> んだから、「最初から全焼させる気はなかった」の何処に「良い」部分が存在
> するのかね?

もちろん、全焼させないように努力した部分に「良い」部分があるわけ。

> <余談?>

>> そんな時間的空間的に離れた行為を目的意識に残してる保証はどっかあるんで
>> すか?

> そうですね。健忘症やアルツハイマー等々は除外して結構ですよ。

そんなのじゃなくても意識に上ってる保証はないと思うけどなあ。
例えば、お父さんが子供に「食べ物の好き嫌いを言うんじゃない」と叱ってる
ときに、三日前の焼き鳥屋で「俺、レバーが苦手なんだよね」って言ってたこ
とを思い出しながら叱ってるのが当然で、思い出さない方が悪いってことにな
る?

>> 自分のポイ捨てのことなんか、忘れてる(というか、当面の意識にない)っての
>> は、ごく普通にあると思うけどなあ。

> では、後で思い出して赤面してください。それで充分です。

それは一体、何に対する評価なんですか?

>> さらに、「自分の行為は不当だと思ってない」というケースに関しては以前指
>> 摘した通り。

> 当然ながら、社会的に未成熟であることが行為を正当化するわけはありません。

もちろん、自分が不当だと思っていない行為が本当は不当だとしたら、その行
為が不当であることには違いありません。
が、その場合に、

>>> そのまんま「自分の不当な行為は擁護したまま他人の不当な行為を非難した
>>> い」という目的が見えますが?

ということが言えないでしょ?
自分で不当だと思ってなけりゃ、ことさらに擁護する目的で行動したりしない
よね?

>> で、「自分の不当な行為は擁護したまま他人の不当な行為を批判する」のが目
>> 的のことも考えられなくもないけど、その目的の悪い部分は「自分の不当な行
>> 為は擁護したまま」ってところであって「他人の不当な行為を批判する」とい
>> うところじゃないよね。

> #分離不能なモノを無理矢理別けることに意味は無い。

もともとばらばらなものを無理矢理セットにしてるだけに見えますが。
単に「自分の不当な行為を擁護する」ってのと「他人の不当な行為を批判する」
のを同時にやったってだけのことでしょ?
何で分離不能なんでしょ?

> 自らを律することなく批判すれば即ち「自分の不当な行為は擁護したまま」で
> あるという状況に陥ります。

批判しなくても「自分の不当な行為は擁護したまま」ですね。
特に、「なまじ批判すれば自分の不当な行為も批判される」という(正しい)判
断のもとに、あえて批判しないことを選んだりするのなら、「自分の不当な行
為は擁護」というのにふさわしいですね。

というわけで、

> つまりそれは「(ある条件下での)批判」が惹き起
> こした結果の一つであるともいえるわけですね。

ということは言えません。
それを引き起こしたのは、「批判」ではなく、自分の行為を修正しないという
態度です。

> </余談?>
-- 
KGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGK
KG  KGK (life name: Keiji KOSAKA), Dept. of Phys., Okayama Univ.        K
KG kgk@film.rlss.okayama-u.ac.jp http://film.rlss.okayama-u.ac.jp/~kgk/ K
KGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGK