! "<4025ee27$0$19835$44c9b20d@news2.asahi-net.or.jp>" という記事で
!     Sun, 08 Feb 2004 17:07:03 +0900 頃に wacky  さん は言ったとさ:

> KGK == Keiji KOSAKAさんの<c02akl$n3v$2@film.rlss.okayama-u.ac.jp>から
>> ! "<401168a7$0$19842$44c9b20d@news2.asahi-net.or.jp>" という記事で
>> !     Sat, 24 Jan 2004 03:32:12 +0900 頃に wacky  さん は言ったとさ:
>> 
>>> だから、同じ状況に対して同じ人(KGK氏ね)が「大きくずれる」と「大きくは
>>> ずれてない」の両方を述べているから矛盾なんじゃん。だから、「どっち」と
>>> 尋ねている。
>> 
>> 対象が同じでも、構造の捉え方が違えば、問題点がずれたりずれなかったりし
>> ます。

> だから、反論を受けた途端に「構造の捉え方」が変わってしまうってのが問題
> なんじゃん。

そんなことは起こってません。

私の構造の捉え方をwacky氏のそれが違うってだけの話です。
で、私のだと「大きくはずれてない」し、wacky氏のだと「大きくずれる」と
いうのが私の主張。

納得するかどうかは別として、主張の内容は理解できました?

> =====

>>> だから、どっちがどうじゃなくて「一人の人間が両方を同時に」体現すること
>>> は*矛盾に他ならない*と言っているのです。
>> 
>> それを、具体的にどの行為の評価として言ってるんでしょう?
>> それはひとつの行為として扱えるものですか?
>> あるいは、行為以外の何かの評価ですか?

> あのさ〜、^_^;
> 「矛盾」と言っている以上、関係性を扱っていると考えるのが常識でしょ。

つまり、個々の行為の評価ではなく、行為の関係性の評価ということですね。

では、「自分がポイ捨てをしながら他人のポイ捨てを批判する」というのを一
つの行為と捉えられると言い張ってたのは何のためでしょう?

> A:ポイ捨てをする他人を批判する
> B:ポイ捨てをする自分を批判しない

> とし、「行為者が誰であるかによって評価は変わらない」を前提とするのであ
> れば「一人の人間が両方を同時に体現する」ことは矛盾そのものですね。この
> 点にはケチのつけようもないでしょ。

いいえ。前提が「行為者が誰であるかによって評価は変わらない」だけであれ
ば、矛盾を導きません。
さらに、「悪い評価を与えたものは必ず批判する」というのでも前提にあるの
だったら矛盾を生じますが、普通はそんな前提を置かないですよね。

> #で、だな。
> #ここでA,Bを別々に議論することを強制すれば*この矛盾を他人の目から覆い
> #隠すことができる*わけですよ。KGK氏が何を求めて「行為そのもの」にこだ
> #わるのかは不明ですが、この事実は否定できませんよ。

普通、一人の人間が矛盾した行動を起そうが、首尾一貫した行動を起そうが、
他人にとっては知ったこっちゃないでしょうね。
問題なのは、個々の行動がそれぞれどのような影響を与えるかということでしょ?

実際、上記の A と B に対して、個々の行為を評価する立場からは、A はよく
て B は駄目なわけですが、そういう評価から、「Bを止めれば駄目な部分がな
くなる」というのが一意的に導けるわけです。

一方、A と B の関係性のみを評価するなら、(A と B が仮に矛盾するとして)
「Aを止める」か「Bを止める」かのどちらでも「矛盾」は解決します。が、
「Aを止める」を選択しても、Bという駄目な行為が残ってしまいます。「Aを
止める」のではなく「Bを止める」の方を推奨したければ、関係性とは別の観
点を導入しなければなりません。それは、結局、個々の行為の評価だったりし
ます。

さて、どちらが役に立つ観点でしょう?

> <余談>

>>> 「正しくて、道理に合ってること」=資格ですか?
>> 
>> いいえ。「正しくて、道理に合ってること」というのは「正当」のことです。
>> この部分はもともとは「呼吸をすることは正当か?」って話だから、話を戻し
>> たわけ。
>> 
>> で、「正しく」ないんですか? 「道理に合って」ないんですか?

> ほらほら、誤魔化さないでね。^_^;
> 私は「それって資格なんですか?」って尋ねているんですよ。

だから、「いいえ」と明確に答えてるでしょ?
何か答に不足があるんですか?

> それとも、

> KGK == Keiji KOSAKAさんの<buo39t$eel$1@film.rlss.okayama-u.ac.jp>から
>>>> そうかあ。呼吸を自分の意志によってなしうる資格はないのかあ。
>> 
>>> 単に「資格」なんてモノは不要ってだけの話では?
>> 
>> で、呼吸することは、「正しくて、道理に合ってること」ではないんですね?
>> 「正しく」ないんですか? 「道理に合って」ないんですか?

> の「で、」ってのは「確かに資格なんて不要でした。資格云々については撤回
> します」って意味だったんでしょうか?

ちょっと違います。
「資格が必要か不要かを決定することは、ここの議論では必要ない。よって、
資格云々は撤回する」というもの。
# 理由が全然違う。

で、今度は誤魔化さずに、

>> で、呼吸することは、「正しくて、道理に合ってること」ではないんですね?
>> 「正しく」ないんですか? 「道理に合って」ないんですか?

に答えてね。ちゃんと、もともとの話に戻してるんだから。

> </余談>
-- 
KGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGK
KG  KGK (life name: Keiji KOSAKA), Dept. of Phys., Okayama Univ.        K
KG kgk@film.rlss.okayama-u.ac.jp http://film.rlss.okayama-u.ac.jp/~kgk/ K
KGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGK