In article <3F4C62F3.74E51D23@abeam.ocn.ne.jp>,
 nakada <hnakada@abeam.ocn.ne.jp> wrote:
> 実は私も以前実家が外房線の誉田にあり、私自身高校生から大学院
> 卒業まで計10年ほど住んでいたことがあります。

誉田にお住まいでしたか。でも誉田小・中学校ではないんですね。
私より10歳くらい上の方でしょうか。
ちなみに私の家は伊豆蔵医院のすぐ近くです。(超ローカルネタ)

> 当時はまだ誉田は快速停車駅ではなかったですね。ただ、千葉から大網まで
> の間で蘇我よりも早く快速停車駅に昇格したのでした。

快速が通るようになったのは私が小学校1年生、
快速が止まるようになったのは小学校6年生のときだったと思います。
蘇我に快速が止まらないのは意外に感じました。
# 蘇我は貨物列車を見るのがお楽しみ。

> 今となってみればすっかり両隣駅に抜かされてしまいましたねえ。
> 鎌取なんて当時は本当に何も無いところで……

鎌取といえば聾学校があり、昔は相対式ホームのあっちとこっちで
生徒がお喋りしてました。電車に乗っても窓越しにまだやってる。
手話ってすごいなぁと妙に感心してしまいました。

あと単線時代は鎌取が鈍行のすれ違う駅になってて、行きも帰りもいつも
私の乗ってるほうが待たされ嫌でした。そういう時間帯だったのでしょう。
誉田で待ち合わせをやってくれればいいのに、と勝手なことを思ってました。
# 誉田で千葉行きを待つ間のお楽しみは下り急行のタブレット。
# 急行と鈍行のすれ違いは土気だったのかな?

> 昔高校の同級生で鎌取に住んでいたやつが蘇我からタクシーに乗って
> 「鎌取まで」というと、運転手は「は、カマトリ? どう行くんでしょうね?」
> という感じで全然要領を得なかったそうです。

さもありなん :-)

> > 昔、内房線と外房線の上りに朝1本ずつ幕張行きというのがありました。
    :
> この列車は以前このニュースグループで私が話題にとりあげたことがあります。

そうなのですか。いつごろでしょう? googleで読めるでしょうか。
ぜひ拝見したいので、もし当時の記事を保存されてましたらよろしくお願いします。
# 時刻表名探偵は只今手配中。大泉さん、ご紹介ありがとうございます。

> 私は逆に毎日この列車に乗って高校に通学しておりました。もっとも私は
> 千葉駅より手前で降りていましたが。

大体わかりました。:-)

本千葉は古い駅も新しい駅もよく利用しました。
乗り換えを除けば千葉駅より多いかもしれません。
高架になったのは私が高校生の時でした。
# もちろん現・千葉中央駅のところにあった駅舎は知りません。

そういえば西千葉駅も私の高校入学時ちょうど工事中でした。

> 当時の千葉駅の思い出といえば、万葉軒の「そば」かなあ。よく高校の帰り
> 一駅戻っておやつに食べたものです。

そばですか、私もたまに食べました。また懐かしくなるお話を。(^^;

hisa@eve.u-ryukyu.ac.jp 宗本久弥