Taro Yoshida wrote in message ...
>In article <bfj93a$hev$1@nn-tk105.ocn.ad.jp>, kimicrux@crux.ocn.ne.jp
says...

>神教を前提として書いたので前述のようになっています
>(神が全てを創造した=全ての事象は神の定めた事 という考えね)。
>確かに、事象の全てを説明する気がない宗教と言うのもありますから
>crxさんの指摘ももっともですね。ありがとう。

どういたしまして。なんだかよく、分かりませぬが。

>>小生にとっては、信仰=進行=親交=振興=新興=深耕=宗教であり、何の区別は
つ
>>けません。

>なるほど。crxさんと私のスタンスの違いがわかるのでありがたいです。

大してありがたいというものでもないでしょうが・・・

>>少し質問しますが、この世には価値ある人、と価値の薄い人との区別は存在しない
と
>>思いたい小生ではありますが、現実の世の中の人々は、多かれ少なかれ、人間に価
値
>>付けをしているように思います。
>
>>質問です。
>>Q:貴殿にとって、価値のある人が存在するとすれば、それはどんな人で、価値の
な
>>い人が存在するとすればそれはどんな人ですか?>

>ここで言う「価値」の定義でどうとでも答えが変わってしまいます。

確かに、人間の価値というものは、T(time)P(place)O(occasi
on)によって変わってくると考えるのが普通ですね。
しかし小生は最近、ある一つの価値観を与えられました。
それは、
「人間の内に存在する神の子としての愛を、その人はいかに深い思いで、外側に現わ
しているか、現わす努力をしているか。」という視点です。
頭が悪くてもよい、ぐじゃっぺでもよい、お金がなくてもいい、貧乏でもよい、口下
手でもよい、不器用でもよい、ただ、その人の内にある神につながる愛の思いをいか
に外に現わす(具現する)努力をしているか、現わしているか。ということだと思い
ます。
ああ、なんと素晴らしく、誰にでも努力でき、誰もが把持することの出来る価値観で
はありませんか?

>手元の辞書では
>|Kokugo Dai Jiten Dictionary. Shinsou-ban(Revised edition) (c)Shogakukan
1988
>|国語大辞典(新装版)(c)小学館 1988
|>かち【価値】
|>1 物事のもっている値うち。あたい。かちょく。「千金の価値がある」
|>2 人間の基本的な欲求、意志、関心の対象となる性質。真、善、美、聖など。
|>3 ある目的に有用な事物の性質。使用の目的に有用なものを使用価値、
|>  交換の目的に有用なものを交換価値という。

細やかに辞書を引いてくださりありがとうございました。

>他の意味もあるかもしれませんがとりあえずこれを下敷きにして考えると
>私の場合は
>1なら、価値ある人は、全ての人(価値の方向が各々異なる)。
>2なら、価値ある人は、記憶に残る人。
>3なら、価値ある人は、(例えば目的が平和なら)平和に貢献した人。
>という感じでしょうか。

はああ〜、なかなか深いお考えの平和主義的価値観をお持ちのお方と拝察致します。

>>ははあ、まれにみる、勤勉なお方だったのですね。

>勤勉じゃないし、勉強からっきしですけど本が好きなだけ。
>小学校時代に一番読み返したのは
>「トラ・トラ・トラ」、次が「日本沈没」。いいかげんなもんです。

小学校時代から、かくのごとき難解な書物をお読みになっておられたのですか?

>実家が思想宗教に関して非常におおらかと言うかいいかげんというか、
>祖母はキリスト教の洗礼名を2つ持っていたらしい(でも誰も覚えていない)し、
>本家の仏教の宗派と、うちでお経を上げてもらう近所のお寺の宗派と
>日常お世話になっているお坊さんの宗派は別々だったりします。
>ある日は神父さんの話を聞いて、翌日は寺に上がりこんで遊ぶとかそんな感じ。
>私の幼少期は宗教に(無節操に)親しんでいたのは確かなようです。

日本人の長所は、いろいろな思想を寛容に受け入れることが出来る柔軟な頭を持って
いるということだそうですね。西洋人には、なかなか仏教は理解できません。という
より理解しようと思うことさえ罪の意識があるんじゃないかと小生は推察します。日
本人は、キリスト教OK、仏教OK、イスラム教も一部じゃOK、天理教、真光教、創価学
会、立正校正会、妙智会、あらゆるものを受け入れることに対して柔軟な心、頭脳、
価値観を抱いていると思います。

逆にいえば、その日本人の長所、平和主義国家はこの時のために、前もって計画して
地ならしを先達がしてくださっておられたのではないでしょうか?桂小五郎、坂本龍
馬、西郷隆盛、大久保利光、榎本武明、吉田松蔭、高杉晋作等、明治維新を命をかけ
てして下さった多くの志士達によって、平和主義日本が誕生し、この時の到来を頂い
ているのです。感謝せねば申しわけありません。

明治維新に関わられた志士達の皆さん、またその方々に関わるあらゆる方々の御努
力、命をかけ、今日の平和国家日本、平和的開国をお導きくださりありがとうござい
ます。
                                    
>>しかし誤った宗教、それは盲信、狂信とも呼ぶべjきものですが、それに陥らぬた
めに
>>も、何が正しき教えであり、何が誤った考えであるかの弁別力を真摯に磨いておく
必
>>要があると思う。

>大抵の既存宗教の場合は、経典を一式ひっくるめて信仰しちゃっていますから、
>crxさんの考えだと、既存宗教に囚われない教義を求めていく事になります。
>そうなると過去の既存宗教の教えは参考扱いになりますから

ふむ、で?

>>何が正しき教えであり、何が誤った考えであるか
を、

>何が正しき考えであり、何が誤った考えであるか
>と読んだほうがcrxさん的イメージに近いのかな?

小生はじゃな、「何が正しき教えであり」これは、貴殿もおわかりじゃろう。誤った
教祖もどきがいるんじゃよ、世の中には。だから、何が正しき教えであり、何が誤っ
た教えであるか、よーく見極める心、弁別力が大切じゃ、と言っているんじゃよ。
また、「何が誤った考えであるか」これは、自分の考えについての内省力を鍛えてお
け。と言うことじゃ。自らの誤った思い込みに気付いて行こう!!ということじゃ。

貴殿の考えとは微妙に違うが、どうぞ御自由にお読み下され。小生は、ちっちゃなこ
とはあまり気にせん質じゃ。

crx