Taro Yoshida wrote in message ...
>In article <bf91uu$ge0$1@nn-tk106.ocn.ad.jp>, kimicrux@crux.ocn.ne.jp
says...


>宗教と言うのはそもそも人間がすぐに理解できない事象を
>理解できるように説明する方法だと私は理解しています。
>宗教によって全ての事象が説明し尽くしたら

宗教によって全ての事象が説明し尽くせたらのほうがよろしいかと・・・

>不安な事象がなくなると同時に進歩がなくなるのはいわば必然。

左様!ごもっとも!

>>神は、人間は永遠に発展途上です。

>crxさんがそうお考えなのは了解です。

奇跡的に了解していただき感謝の至りです。

>個人的にはいわゆる宗教を教義のFIXされ具合で分類しています。
>大まかに
>・教祖(預言者、神の声を聞くものを含む)が生存している時点では「信仰」。
>・教祖が死ぬか、まとまった経典が編纂されて「新興宗教」。
>・教祖を知っている人が全員死んで「宗教」。
>という感じ。宗教学とかは存じないので、正式な分類があるかもしれません。
>crxさんの思想では永遠に発展し続ける(=教義はFIXしない)との
>ことなので、私の分類では「信仰」の方という理解でいます。

はああ左様ですか。それが貴殿のtipoとか言うものですか?
小生にとっては、信仰=進行=親交=振興=新興=深耕=宗教であり、何の区別はつ
けません。

少し質問しますが、この世には価値ある人、と価値の薄い人との区別は存在しないと
思いたい小生ではありますが、現実の世の中の人々は、多かれ少なかれ、人間に価値
付けをしているように思います。

質問です。
Q:貴殿にとって、価値のある人が存在するとすれば、それはどんな人で、価値のな
い人が存在するとすればそれはどんな人ですか?

小生は最近とても納得のゆくその「見極め」の視点を頂きました。

>寺社仏閣で遊ぶのは子供の頃から
>(近所に寺や各種教会多かったので。寺の木魚を勝手に叩いて怒られたり)。
>仏典や聖書やギリシャ神話は
>小学校の時に実家にあった大人用の文学全集で読んだのが最初。
>(この文学全集が押入れに入っているわけです)

ははあ、まれにみる、勤勉なお方だったのですね。

>知人や近隣の住人に色々な宗教や思想の方がおられ
>(仏教、神道、キリスト、イスラム、天理、金光、エホバ、
> 真如苑、幸福の科学、真光、儒教 など)
>それぞれの教義や説法をなんとなく聞いて育ったので
>自分なりの漠然とした死生観はありますけれど、
>道というか自分にフィットする宗教はまだ見つかっていません。

ははあ、左様ですか。小生は、仏教、キリスト教、天理教くらいなものですね。幼少
のころより出会った宗教といわれるものは・・・・

宗教というものは、人間に迎合しない強さがありますよね。デウスの神に従い、はる
ばる遠路より長崎まで行進させられても、喜んで十字架にかかった26聖人の行いの
全てに見られるように、神を信じるも者にとっては、肉体の死以上に大切なものがあ
る。
それは、地平線にしがみつこうとする肝っ玉の小さき存在と、地平線のかなたに向
かって歩んでゆこうとする高貴なる冒険者との差があるのではないでしょうか?しか
し誤った宗教、それは盲信、狂信とも呼ぶべjきものですが、それに陥らぬために
も、何が正しき教えであり、何が誤った考えであるかの弁別力を真摯に磨いておく必
要があると思う。

生まれて来れなかった、何兆倍もの人々にバトンを託された我々地上の人間達よ!こ
の与えられし命を軽んじてはならない。大切に大切に真実に向かい愛ある行いを追求
すべきである。それが我らが、天と神との間に交し合った約束ではなかったか?


crx