過去の日本において、命を賭けて戦った国会議員は山本宣治なんかだろう。
過去において日本が治安維持法によって蹂躙されたのは、
フィリピンのマルコスを追い出したようなデモをしなかったことにつきる。
憲兵、特高に事前に一斉に監獄に送り込まれた状況下では、
羊のように言われるままに死んでいく人間しか社会生活できなかったんでしょ
うが、命を賭けた民衆の大行進が行われた実績はないよ。マルコスを追い出し
たような。

今の日本には、憲兵も特高もいない、そんな発言し行動できるときになったら
何も言わない。
過去にもないし、現在もない。命を張ったフィリピン型行進など。
しかし、民主主義を守るには、そうした行動でしょう。



ichiro,sさんの<fdnej8$ta9$1@news-est.ocn.ad.jp>から
>山之彼方 wrote in message ...
>>
>>この弾圧に勝つには、銃口に向かって行進する死の行進部隊に国民が全員参加
>>する覚悟が必須なのである。全国民参加の行進を象徴する、数万の「民主主義
>>を守る死の行進部隊」の常備が必須だ。数万の死の行進部隊は、数十万でも数
>>百万にでも膨らませることができるものでなければならない。国民の意識がそ
>>こまで高められていることが必須だ。
>>
>>国民に向けられた銃口も、憲兵も、特高も、いかなる権力構造も、治安維持法
>>も、この国民の死の行進部隊の前には、もはやなすすべもないだろう。
>>国民に、死の行進部隊参加への覚悟があれば、民主主義は死守できる。
>>
>>民主主義は、命を賭けた国民でなければ樹立できないシステムなのである。
>
>そのような精神主義がかつての日本を破滅に追いやったことを想起せよ。
>尤もそんな覚悟を持つ人間が今の日本にいるとは聞いていないがね。
>貴君を含めて。