《社会主義は経営無責任を招き、国家制度とすべきでない間違った思想》

企業経営でもそうです。
「本来、個人の責任である企業経営」を社会化し、「国の責任、社会の責任」として国営化公営化してしまうと、個人の責任は“解放”され非常に楽になりま
す。
個人の責任が無くなるのだから楽になるのは当たり前です。
ただし、経営は無責任になり、厳しい選択を避け、赤字の山になってしまいます。

国鉄電電公社の無責任経営を正すに、「企業経営は社会の責任、国の責任」という社会主義をやめ、公営化をやめ、民営化し経営責任を確立するまで成功しま
せんでした。
これも歴史の事実です。
企業経営という本来個人の責任を社会化し、「国の責任、社会の責任」とする社会主義は個人の責任が確立せず、経営責任を無責任なものにしてしまいま
す。
社会主義は経営無責任を招き、国家制度とすべきでない間違った思想です。
これは今日では、ほぼ世界共通の認識となっています。
世界の国々はせきを切ったように雪崩を打って、国営企業や公営企業を民営化しています。
社会主義の間違いを正しています。

《社会主義は経営無責任を招き、国家制度とすべきでない間違った思想》

民政制度も同様です。
「老親の保護は国の責任で行う、」「国民の老後は国が看取る」「社会で看取る」という社会主義は国の制度とすべきでありません。

現在、病院に入院し、介護され、そのまま亡くなるケースがほとんどになっており、社会でみとる状況になっています。社会主義を国の制度としています。便
利で楽であり、仕事の妨げにもならないからと言って家族の役割を無くしてしまっているわけです。一人では動けず、献身的な家族が必要は時に、家族を必要
無くすることの重大性に気が付くべきです。「個人の責任が確立せず無責任を招く間違った思想である社会主義」を国の制度にしていることの重大な誤りに気
がつくべきです。

「需要があるから、国民が希望するから」と言って実施しているこの社会主義制度が、いかに大きな弊害をもたらしているか。
家族を必要なくし家族の価値を大きく低下させる原因なっています。
「政府や自治体の支援が全くなかったかつての時代に帰れ」と言っているのではありません。
「国や自治体は総力を挙げて近代国家にふさわしい支援制度を構築し、希望者が家庭介護を実施できるよう、制度を整えるべきである。」
「家庭介護をしようとする家族や法的保護責任者を人倫道徳にかなった美しい行為として支援し、制度を整えるべきである」「家庭経営責任という個人の責任
を確立させた自由主義概念に政策誘導せよ」と主張しています。