kuno@gssm.otsuka.tsukuba.ac.jpさんの<d4s3dq$4v1@utogw.gssm.otsuka.tsukuba.ac.jp>から
>  各個人は主観の世界のなかを生きているが人間は一人では生きていけ
>なくて社会を形成している以上、複数個人の「主観」の共通部分、合意
>部分を抽出してその土台の上に社会が構築されていると思うわけさ。

それだけだと単なる綱引き、*常に多い方の意見が通る*だけのダメダメな多数
決社会になってしまうでしょう。だから、そこには数の多寡にかかわらない
「原理」が必要となるわけです。

たとえば、何故「実名投稿者を尊重しなければならないのか」と考えた場合、
その原理を「全ての参加者は同様に一個人として尊重される(べきである)」に
求めるならば、如何に多数が「非実名投稿者は*白い目で見て良い*」を共通認
識と主張しようが決して通るものではないわけです。

>そ
>れを確認するのが議論だと私は(主観的に :-)思う。そしてそういう共
>通部分を拒否してる人は社会への参加を拒否してるってことですよね。

上記のような「原理」に外れ、かつ共通部分を「拒否」しているならね。

>            日常生活の「社会」ではどうでしょうね?         久野

同じことだと思います。


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wacky@和而不同