二・三のことがら



 明らかに素粒子は粒子ではなく波動でなければなりません。
素粒子が実体なのではなく媒質が実体だからです。
時空のなかの素粒子が現象を生成するのではなく、現象が時空のなかの素粒子を生成
している筈です。

 数は規則に従って無限に数えることができます。
そしてそのことは矛盾ではありません。
しかし、実体に関しては有限は矛盾であり、無限も矛盾です。
(わからなければ少し時間をかけて自分で考えてみてください)。
ではどうすればよいのでしょうか。
答えは一つです。
次元、あるいは広がりとは幻であり実在しないものだということです。
人間のいうこの世界全体が幻想であり実在ではないということです。
あるいは別の言い方をすれば、それは数と同じように生成すればいくらでも生成でき
るもの、
規則に従って次から次と生成されるものということです(ここで絶対に誤解してはな
らないのは、「時間的に次々と」ではありません)。
公理が定まれば論理的に自動的に無限の定理の世界が生成するように、規則が定まれ
ば論理的に自動的にその規則から演繹される無限の演繹世界が生成するように、無限
の虚構が生成されていっている。
そうしてそれを生成する根元となっているものは未だ人類に全く知られていないもの
です。
現在の物理学で全く知られていないものです。
規則に従って次から次へと生成される幻、虚構と考えれば波動関数の収束や例えば1
00億光年離れた二個の光子の Entanglementをそういう方向から説明することも可
能になってきます。

 人は死ねば未来永劫の無となります。
あなた方もその未来永劫の無に落ちていきます。
実体は消滅するということはありませんので、正確に言えば未来永劫の波あるいは歪
みのないcalmな状態に落ちていくということです。
時間というのは存在そのものに比べればはるかに易しい問題です。
無限の恐怖は死ではなく存在です。死はその存在の無限の恐怖を考えることさえでき
なくします。
死んだからと言って存在から抜け出られるわけではありません。

私が13才のとき気が付いたことを今から35年も以前に東大の哲学の教授と話した
ことがありますが、「僕もそのことを考えているんだが・・・」という返答でした。
ですが普通は誰に話してもまともな返答は返ってきません。そもそもそのことがわ
かっていますので、私も初めから話しませんが。特に白人のアマチュア科学者やアマ
チュア哲学者達は頭が悪くてまともに話もできません。
私が時間は流れないということに気付いたのは今から35年ほど前のことでしたが、
最近の Scientific American 等を見ると、どうやら人類もそのことに気付いてきた
ようです。意外と早かった、それが私の感想です。
ただ、方程式を操作していたらそうなったというお話で、その解釈は全然なっていま
せんが。
このNGの常連の方々のような中の上クラスの知能の方々ですと、「時間が流れない
ものであれば、因果関係が説明できない。間違いだな。」という反応が実に安直に
返ってきそうですが、そういう場合は私も苦笑いしながら「そうですね」とでも言っ
て迎合するしかありません。
もし興味のある方ががいれば私のHPを訪ねてみてください。
ただし単なる好奇心からの覗きは歓迎いたしません。

http://www.asahi-net.or.jp/~RZ5Y-KWTR