KGK == Keiji KOSAKAさんの<c02e55$omu$1@film.rlss.okayama-u.ac.jp>から
>>> 「放火して消火した」というのは、例えばそれが、「いい意味で世間の注目を
>>> 浴びる」という目的のために行なわれた行為群であれば、「マッチポンプ」と
>>> いう一個の行為と捉えることができ、例えば、「放火してみたけど気が変わっ
>>> て消火した」などというときには一個の行為とは捉えられない。
>
>> だから、消火のみを無理やり切り出したのでは両者を峻別できない。当初の設
>> 定に沿った評価はできないわけです。
>
>「当初の設定」自体がその両方を含み、その峻別ができないものになっていま
>す。

「マッチポンプ」の意味するところを把握しているのであれば「放火してみた
けど気が変わって消火した」というケースが「マッチポンプ」に該当するのか
否かを理解できるはずですし、半年以上も以前から「消火(に終わる一連の行
為)によって何らかの利益を得る」ということを何度も繰り返し述べ続けてい
ますよ。何が問題なんでしょうか?疑問です。

=====

>何回か言ってますが、「マッチポンプは悪い」「放火は悪い」「消火はよい」
>です。

それって、「一般的には」とか冠してません?
じゃ、「悪いマッチポンプを構成し不可欠な小行為である消火は*良い*」んですか?

>> 単なる消火ではなく、「マッチポンプ」の一部である消火を良いと考えるのは
>> 「問題の切り分けが全然出来てないってことです」です。
>
>むしろ、「マッチポンプ」の一部である*から*その消火は悪いなんて言う方が、
>問題の切り分けが全然出来てないってことですね。

「むしろ云々」で言い返したからといって、それは反論にはなりませんよ。
KGK氏自身への指摘に対して何の回答もしてはいないんですから。

>「マッチポンプの一部」であることが、どのように評価に影響してそういう評
>価になったのか説明できないと。

はいはい。^^;
その消火が「マッチポンプ」の一部である*から*には、その消火は*悪い行為
の一部*であるわけです。その消火は「不当な手段を弄してでも賞賛を浴び
る」という目的を構成する一部分であり、なおかつ、それなしではその不当な
目的は達成不能です。
#放火自体が重大な問題であるために返って見過ごされがちですが、ここでの
#放火は手段であって目的ではありません。
「アクセルを踏む」ことが殺人という行為の一部である*から*その「アクセル
を踏む」ことは悪いと判断される。といったことと何の違いもありません。


>>> 「消火は良い」という主張が「マッチポンプは悪い」に対する反論に見えると
>>> したら、問題の切り分けが全然出来てないってことです。
>
>> 引き起こした結果が「最悪よりもマシ」であることに何を見出そうと言うの?
>
>それは全体として見たときの話ですね。
>部分の評価としては「よい」でいいでしょ?

だから、その「部分の評価」に何の意味がある?行為全体をキチンと評価しな
さいよ。

-- 
wacky